「毛利公子」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「毛利公子」の死に際とは?日本の人物

「毛利公子(もうりきみこ)」とは?

毛利公子の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「毛利公子」とは?簡単に説明

毛利公子(通称モーリ)は笠松美樹(通称ミキ)と長沢久美子(通称クミ)の3人で構成される女性コーラス・グループ「Sugar(シュガー)」のメンバーです。

1981年にデビューしますが、デビュー曲の「ウエディング・ベル」が大ヒットし、一躍3人は有名になります。

翌年のNHK紅白歌合戦にも出場しますが、その後はヒット曲に恵まれず、1987年に解散します。

解散後の毛利はタレントとして活動しながら、1988年6月には結婚もしています。



「毛利公子」の晩年

Sugar(シュガー)の解散後、毛利公子はタレントとして活動を続けていました。

当時はラジオ番組のリポーターなどをしており、その後は「独占!オールニッポンヒット歌謡」「フルフルサタデー古舘伊知郎のときどきモンスター」「パワフルタッチの丸ごと遊ビジョン」でフリーアナウンサーの古舘伊知郎のパートナーを務めていました。

1988年6月に一般男性と結婚し、名前も毛利公子から徳本公子に改姓しています。

なお、Sugarでの活動中やタレント活動の時も健康そのもので、体調が特に悪いということはなく、とても元気だったようです。



「毛利公子」の死に様

毛利公子は1988年に結婚すると1989年には第一子を妊娠します。

毛利は仕事をセーブしながら出産に備えていましたが、1990年4月6日に陣痛があり、病院に向かいます。

ここで診察を受けた毛利は胎児の心音が確認できないことを告げられます。

結局、お腹の赤ちゃんは死産となります。

死産を知った毛利は相当取り乱していたとのことです。

お腹の赤ちゃんは女の子だということが分かっていたため、すでに「さくら」という名前を付けることにしていたといます。

毛利の夫は当時海外出張中で不在でした。

子供の死産後も母体への負担や影響を考えてしばらく胎児の処置は行なわず安静にしていました。

しかし、翌日の4月7日の午前2時に、付き添っていた妹によって毛利の呼吸が止まっていることが分かります。

すぐに別の病院に搬送されますが、毛利はそこで死亡が確認されます。

享年29歳でした。

死因ですが、特定できていません。

「毛利公子」の死に様の信憑性

毛利公子の死因については「原因不明の突然死」ということになっています。

以前から持病や兆候があったわけではなく、本当に分からないようです。

巷では、「常位胎盤早期剥離」による「羊水塞栓症」「妊娠高血圧症候群」が死因ではないかと言われていますが、単なる憶測で確証がないのが現状です。

まとめ

Sugar(シュガー)のヒット曲は1曲のみだったため、テレビ等での活躍期間は短かったですが、ユニークな女性グループだったので、多くの人の印象に残ったグループです。

それゆえに毛利公子の突然の死はその状況からもショッキングな出来事でした。

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