この記事では、「杉浦直樹」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「杉浦直樹」とは?
杉浦直樹とは、テレビドラマや舞台、映画などで活躍した俳優です。
1950年に新演劇研究所の設立に参加し、舞台演劇で活躍しました。
そして1957年、「俺は待ってるぜ」で映画デビューを果たします。
この映画は、昭和の大スター石原裕次郎が主演したものです。
その後はテレビドラマにも数多く出演するようになり、代表作には「父の詫び状」や「あ・うん」「江分利満氏の優雅な生活」「赤い魂」等があります。
「杉浦直樹」の晩年
杉浦直樹は、晩年も俳優として様々なテレビドラマや映画に出演しています。
2003年に放送されたテレビドラマ「高原へいらっしゃい」や2004年のフジテレビ開局25周年記念ドラマ「海峡を渡るバイオリン」、映画「ドラッグストア・ガール」等があります。
また、舞台でも活躍していて、2001年には向田邦子原作の「あ・うん」で、菊田一夫演劇賞を受賞しています。
ただし、2006年に脳梗塞を患い、それ以降はリハビリを続けていました。
芸能活動は休業状態だったといいます。
脳梗塞で倒れた時には舞台「黄昏」に出演する予定でしたが、降板しています。
また、脳梗塞で倒れるまでは、ホテル暮らしをしていたといいます。
若い頃に演出家の女性と結婚したことがありますが、13年連れ添った後に離婚しました。
離婚してからはずっとホテル暮らしを続けており、役者は生活の匂いを出してはいけないという独自の美学もあったようです。
脳梗塞で倒れてからのリハビリ生活を支えたのは内縁の妻で、言葉を話すための台本の読み合わせなども行っていました。
その女性と2007年に正式に再婚しています。
「杉浦直樹」の死に様
杉浦直樹は、2011年9月21日に亡くなりました。
死因は肺腺癌です。
その1か月程前に体調を崩して入院していました。
亡くなったのは都内にある自宅です。
享年79でした。
「杉浦直樹」の死に様の信憑性
杉浦直樹の死因は肺腺癌ですが、肺腺癌は喫煙者程発症するリスクが高いといわれています。
杉浦直樹は愛煙家として知られており、それが肺腺癌に影響したことも考えられます。
亡くなる際「私の人生、メデタシ、メデタシ」と言ったとされます。
まとめ
杉浦直樹は晩年、脳梗塞を発症しリハビリ生活を送っていました。
2011年に肺腺癌により亡くなっています。
享年79です。