この記事では、「左卜全」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「左卜全」とは?
左卜全とは昭和の時代に活躍した俳優で、黒澤明の映画に多数出演しています。
脇役ながら飄々としたとぼけた老人の役で、その持ち味を発揮しました。
元々は帝劇歌劇部のコーラスボーイをしており、オペラ歌手でもあります。
その後、小さな劇団を転々とし、1935年に新宿のムーランルージュ新宿座に入りました。
左卜全という芸名になったのはこの頃で、喜劇俳優として活躍します。
後に東映となる太泉映画大泉スタジオに入り、55歳で映画デビューしました。
「左卜全」の晩年
左卜全は晩年、とぼけた老人役を演じることが多くありました。
映画監督として名高い黒澤明の「生きる」や「七人の侍」「どん底」等に出演しています。
「どん底」ではお遍路役を演じており、左卜全の代表作になりました。
また、私生活では52歳の時に15歳年下の女性と結婚しています。
年の差はありましたが晩年も夫婦仲はとても良好で、外出する際には必ず妻が付き添っていたといいます。
左卜全は突発性脱疽という病気を患っていて、移動する時は松葉杖を使っていました。
激痛が走るものなので医師からは切断することを勧められていましたが、役者ができなくなってしまうからと切断はしませんでした。
妻は左卜全を献身的にサポートしており、足のマッサージ等も行っていたといいます。
また、76歳の時に「老人と子どものポルカ」をリリースし、歌手デビューを果たしています。
大ヒット曲となりました。
「左卜全」の死に様
左卜全は、1971年に亡くなりました。
享年77です。
死因はがんで、愛する妻に見守られながら亡くなったといいます。
「左卜全」の死に様の信憑性
左卜全の死因はがんですが、がんの種類までは分かっていません。
亡くなる際に妻が左卜全に呼び掛けたところ、「はーい」と返事をしたといわれています。
それが最期の言葉になりました。
左卜全は芸能界きっての変人といわれ、芸能界で友人は全くいなかったといいます。
身なりもボロボロのものを着ていることが多かったですし、奇抜な服装をしていることもありました。
左卜全の妻の糸は、汚い恰好をしている夫に崇高なものを感じて結婚したといいます。
まとめ
左卜全は晩年も俳優として活躍しており、亡くなる前年には歌手デビューもしています。
そして、がんにより77歳で亡くなりました。