意外な事実『ウルトラセブン』も歌っていた?
「尾崎紀世彦」の散り際とは?この記事では尾崎紀世彦の晩年と最期について解説します。
「尾崎紀世彦」とは?簡単に説明
尾崎紀世彦と言えば『また逢う日まで』が代表曲なのは間違いありません。
年輩の方は1971年リアルに。
アラフィフの方は『THE夜もヒッパレ』で流行歌を熱唱する姿を見た方も多いことでしょう。
意外に知られていないのは『ザ・ワンダース』時代に諸般の事情から『ジ・エコーズ』として活躍。
『ウルトラセブン』『巨人の星』と当時平均視聴率25%越え番組の主題歌、副主題歌にも携わっていることです。
この他『雪が降る』80年代の『サマーラブ』など60年代から長きに渡り、耳に残る名曲を残してきました。
「尾崎紀世彦」の晩年
ハワイアンバンドとしての回顧ではありませんが、旧知の友人とともにアメリカンテイストのサウンドライブを実施。
各地のオーケストラとのコラボレーションはライフワークになります。
「京都フィルハーモニー室内合奏団」とラブソング「広島交響楽団」とのポップス「神奈川フィルハーモニー管弦楽団」とのアメリカンポップなど大きな反響を呼びました。
曲目も自身の持ち歌はもとより「フランク・シナトラ」「ヘディ・ウエスト」ポップスからフォークまで多彩な曲を披露しています。
「尾崎紀世彦」の死に様
2011年5月に予定していた三度目の京フィルとのコラボコンサートが中止になったのは同年の4月のことでした。
活動再開の知らせもないままに一年が経過します。
2012年4月末に一部報道で失踪説が流れますが、尾崎氏の実弟がこれを否定し、東京で元気でいることを明かしました。
しかしそれからわずか一ヶ月後の6月1日、前日5月31日0時5分に東京の入院先で死去したと報道がされています。
69歳没。
死因は肝臓がんによるものでした。
「尾崎紀世彦」の死に様の信憑性
京都フィルとのコラボコンサートを中止にしてから一年後の12年4月末には女性週刊誌にゴシップ記事が掲載されることとなりました。
内容は体調不良を掲載しながらも“失踪”を強調。
これに対して実弟が何年も会っていないながらも尾崎氏が休養生活をしていることで失踪を否定。
その一方で身体の自由が効かなくなっているため、都内で世話をしてくれる人と生活していることが明かされています。
そして尾崎氏の死去前後に明らかになったのは2010年の夏に肝臓がんが発覚したこと。
9月には切除手術をしたものの取り切れませんでした。
そして実弟が語った11年2月の体調を崩した時には、既に余命宣告もされていたそうです。
ハワイへ行ったり、のんびりしている発言も既に1年前のことでした。
まとめ
2012年5月31日0時5分に東京の入院先の病院で永眠しています。
69歳没でした。
死因は肝臓がんであり、10年夏に痛みの症状が背中に出たことから発覚。
秋には即手術したものの完全切除はかないませんでした。
尾崎氏は化学療法を拒否、仕事を続けます。
しかし11年2月にはもはや手のつけようがないところまで肝臓がんは進行。
その後仕事をキャンセル、マネージャーに連絡しないでハワイの息子宅へ一ヶ月滞在、事務所との契約が終了など失踪騒ぎにも発展することとなりました。
そして失踪騒ぎからわずか1ヶ月後に死去しています。