この記事では、「坂本スミ子」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「坂本スミ子」とは?
坂本スミ子とは大阪出身の歌手で、ラテンの女王と呼ばれることもあります。
1959年にラテン音楽グループのロス・パンチョスの日本公演で前座を務めて人気となりました。
NHKのバラエティ番組「夢で逢いましょう」の主題歌を歌っています。
NHKの紅白歌合戦に出場したこともあります。
また、女優としても活動しており、1983年には「楢山節考」で実年齢を大きく上回る老女の役を演じカンヌ映画祭でグランプリを受賞しています。
「坂本スミ子」の晩年
坂本スミ子は晩年も、歌手や女優として活動を行っていました。
また、夫の母の跡を継ぎ、熊本市内にある幼稚園の園長も務めています。
坂本スミ子は2度の結婚歴があり、2度目の夫は皮膚科医の石井禮次郎です。
石井禮次郎は東京の青山に美容皮膚科である石井クリニックを開いた人物で、化粧品ブランドSK-Ⅱの開発にも携わったことで知られています。
夫との間には娘が1人います。
娘の石井聖子も歌手で、晩年は親子で共演することも多かったようです。
共同で音楽を制作することもありました。
2008年にはデビュー50周年を記念したアルバムをリリースしており、娘とのデュエット曲も2曲収録されています。
また、2009年には脳梗塞で倒れてしまいますが、3カ月後には復帰しています。
「坂本スミ子」の死に様
坂本スミ子は、2021年1月23日に亡くなりました。
死因は脳梗塞です。
熊本市内にある病院で亡くなっています。
享年84です。
「坂本スミ子」の死に様の信憑性
坂本スミ子が脳梗塞で倒れたのは、1月2日のお正月のことでした。
病院に搬送されますが、回復することなく息を引き取っています。
2009年に脳梗塞で倒れたには、発見が早かったこともあり3か月で回復しています。
2021年は新型コロナウイルスが猛威を振るっていた時期なので、家族であっても面会することはできませんでした。
そのため娘の聖子も病院で母を看取ることはできなかったといいます。
ただし、自宅に運び込まれた遺体の顔はとても安らかでした。
夫である石井禮次郎は2014年に亡くなっています。
まとめ
坂本スミ子は晩年も歌手として活動しており、娘と親子共演することもありました。
そして、2021年に脳梗塞を発症してそのまま息を引き取っています。
享年84でした。