「宮本美智子」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「宮本美智子」の死に際とは?日本の人物

世にも美しいダイエットが仇になった?

「宮本美智子」の散り際とは?

この記事では宮本美智子の晩年と散り際について解説していきます。

「宮本美智子」とは?簡単に説明

昨今巷に溢れかえるダイエット方法の1つに低糖質、糖質制限ダイエットが挙げられます。

彼女の名前が一気に世間に知れ渡ったのは1994年に講談社から出版された『世にも美しいダイエット』による部分が大きかったと言えるでしょう。

糖質制限はいわゆる糖代謝以上の人達のものという考えを一変させるムーブメントを作った第一人者でした。

そしてそれは彼女自身の生活も一変させたといってよく、各種著作物もそれまではアメリカ、ニューヨーク生活中の美術関連のものからダイエット本の出版に重きが置かれる様になっています。



「宮本美智子」の晩年

1994年に講談社から出版された『世にも美しいダイエット』はベストセラーになりました。

この商業的成功を収めたことで95年には『メニューブック 世にも美しいダイエット』96年には『カラダ革命の本 世にも美しいダイエット』いわゆる続編を立て続けに刊行しています。

それは同時にダイエットが必要ではない状態であっても、著作者として糖質制限を続けていかねばならない状態になっていったと思われます。

過剰な糖質制限が仇になったのかはわかりません。

しかし96年6月にはスクープ記事として週刊朝日に「ダイエットの女王宮本美智子さんの昏倒」の見出しで掲載。

5月に倒れていた事実が明らかになります。



「宮本美智子」の死に様

1997年6月13日、都内の入院先で逝去、51歳で亡くなっています。

死因は多臓器不全によるものでした。

前年5月に脳出血で倒れて以降は入院生活が続き、闘病生活が1年を越えたところで力尽きています。

「宮本美智子」の死に様の信憑性

彼女の没後四半世紀が経過した今では過剰な糖質制限が身体に悪影響で時に死をもたらすのはある意味常識にもなっています。

死因に繋がった脳出血に関しては徹底した糖質制限が原因だとは断言できません。

50歳を越え加齢でたまたま発症したのかも知れません。

しかし見識者が当時から彼女の過剰な糖質制限には苦言を呈した方は少なからずともいました。

また実際に糖質制限を行う一方で油に関する制限は紅花油を主にする種類の制限のみでした。

このため倒れる前には夫婦でサフラワー油を缶で消費。

数日で飲みきっていたことが明らかになりました。

90年代後半にはリノール酸の過剰摂取による弊害として、悪玉コレステロール・中性脂肪の増加、それに伴う動脈硬化や心疾患、脳疾患が挙げられるようになっています。

糖質過剰制限と油脂類の過剰摂取が脳出血に繋がった可能性は多いにあると言えるでしょう。

まとめ

1997年6月13日に都内の入院先で逝去。

51歳没。

死因は多臓器不全によるものでした。

96年5月に脳出血により昏倒して倒れ、翌月その事実が週刊誌で報道されています。

死因に繋がった脳出血を発症した理由は断言できません。

しかし完全な糖質制限と現在では過剰摂取の弊害が認知されているリノール酸の取り過ぎが大きく関わっているとも言われます。

油脂でカロリーを補うために夫婦でサフラワー油の缶を1日で飲みきっていたとされ、動脈硬化の進行により脳出血に繋がった可能性は否めません。

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