「松本友里」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「松本友里」の死に際とは?日本の人物

女性アイドル・花の84年組の1人「松本友里」の散り際とは?

この記事では松本友里の晩年と最期について解説します。

「松本友里」とは?簡単に説明

女性アイドル花の1984年デビュー組の1人。

80年代初頭に創刊された『BOMB!』や『DUNK』でのグラビア写真で彼女の姿を覚えている年輩の方は多いことでしょう。

また高校の同級生に岡田有希子、本田美奈子、南野陽子らと早々たる面々が揃っていたことでも有名。

同世代のアイドルが粒揃いだった事に加え、「おニャン子クラブ」ブームの煽りを受け、アイドルから早々に女優業主体へ路線変更しています。

一般的には『NHKおはようサンデー』の司会、もしくは人気俳優「松平健」夫人として知られ、アイドル時代よりも後者の認識度が高いと言えるでしょう。



「松本友里」の晩年

『暴れん坊将軍』で共演した「松平健」氏との舞台を観劇。

その後母親を交えての食事から交際に発展。

一年間の交際を経て結婚しています。

松平氏と「大地真央」氏との結婚はビジネス婚とも言われ、子宝にも恵まれず、ゴシップ紙では同性愛説が両者に出るほどでした。

しかし二人の間には2006年に長男が誕生。

世間的にも「マツケンサンバ」のブームで松平健夫人として注目が集まりました。



「松本友里」の死に様

幸せの絶頂に陰を落とすこととなったのは2010年11月15日のことでした。

第1発見者はベビーシッターで深夜3時に変わり果てた彼女の姿を発見しています。

死因は自宅のドアにロープをくくっての首吊り自殺。

42歳没でした。

「松本友里」の死に様の信憑性

幸せの絶頂にいたと思われる松本氏でしたが、2010年6月に宝塚歌劇団卒業生として知られる「和歌鈴子」氏を喪っていました。

彼女の母親は身体が弱く、松本氏が介護疲れをしていたと言われます。

しかし実際に彼女は母親が亡くなって以降に鬱状態が加速したととの関係者の証言がありました。

東京都目黒の超高級住宅街に住んでいた事により、ほぼ近所付き合いがなかったのも孤独に拍車をかけた要因とも。

「松平健」氏も超人気俳優で多忙。

特に2010年はテレビドラマ・時代劇に加えバラエティ番組の司会、舞台と八面六臂の活躍をしており、東京にいる時間も少なかったと思われます。

実際に彼女が亡くなった当日は福岡・博多座で公演中でした。

公演の『三匹のおっさん』は松平氏にとって初の現代劇の舞台。

それもあり彼女の心の状態に気付くのが遅れたのかもしれません。

松平氏も彼女を気にしていたのは、母親の介護が無くなってもベビーシッターをつけていたことで明らかでしょう。

自身が多忙ゆえに彼女の心への配慮してのことだったように思えます。

まとめ

「松本友里」は2010年11月15日未明に亡くなりました。

発見は午前3時。

泊まり込みのベビーシッターが第1発見者で死因は首吊り自殺による心不全でした。

同年6月に母親を亡くしてから、鬱状態が悪化していたと言われています。

また遺書の有無等は公表されていません。

松平氏も超多忙で家を空ける機会が多く、彼女の精神状態を加味してベビーシッターを雇用していたように思えますが、悲劇的な結末を迎えてしまいました。

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