在原業平は平安時代の貴族で、当代きっての色男として知られています。
そんな在原業平の晩年と最期について紹介します。
在原業平とは?
在原業平は平安時代に生きた貴族で、平城天皇の皇子である阿保親王を父として誕生しました。
母も桓武天皇の皇女の伊都内親王です。
そのため非常に高貴な身分ですが、父によって臣籍降下され在原姓を名乗ることになりました。
平安時代に書かれた伊勢物語は、在原業平を主人公にした物語といわれています。
主人公の恋愛を描いた歌物語です。
在原業平の晩年
在原業平を描いたとされる伊勢物語では、主人公の様々な恋愛エピソードが短編形式で描かれています。
伊勢の斎宮と密通するなど、当時としては衝撃的な話もあります。
しかし、その恋愛模様が全て事実というわけではなく、在原業平を題材にはしているものの架空の物語と考えられています。
ただ、在原業平が美男子で、女性からモテたというのは事実だったようです。
在原業平は官職では藤原氏に押されて、あまり出世はできませんでした。
53歳の時に近衛中将となり、55歳で蔵人頭という要職に就いています。
他の兄弟と比べても出世はかなり遅れていました。
和歌の才能には秀でており、沢山の優れた和歌を残しています。
晩年には文徳天皇の皇子である惟喬親王に仕え、和歌を奉ったりもしています。
また、多くの女性と関係を持ったといわれ、高貴な女性から一般庶民の女性まで様々な恋愛の逸話があります。
在原業平の死に様
在原業平が亡くなったのは、880年のことです。
享年は56でした。
平安時代の寿命は50歳ぐらいだったので、平均的な年齢で亡くなったといえるでしょう。
病気で亡くなっていてもおかしくはありませんが、溺死したという説もあります。
在原業平の死に様の信憑性
在原業平が溺死したというのは、江戸名所記という書物によるものです。
この中で業平という地名が登場するのですが、在原業平が京に帰ろうとしたところ舟が転覆して死んでしまったので里の人たちが塚を築いたという記述があります。
それが後に神社となり、業平という地名が生まれたというのです。
そこから在原業平は溺死したという説が生まれました。
ただし、信憑性が高い話ではなく、在原業平の死因ははっきりとは分かりません。
まとめ
在原業平は官職としては出世が遅かったのですが、晩年には要職に就いています。
そして、56歳の時に亡くなりました。
死因ははっきりしていません。