「江戸川乱歩」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「江戸川乱歩」の死に際とは?日本の人物

江戸川乱歩は、名探偵の明智小五郎が活躍する推理小説を執筆した作家として知られています。

江戸川乱歩の晩年と最期について紹介します。

江戸川乱歩とは?

江戸川乱歩は三重県に生まれ、早稲田大学を卒業しました。

子どもの頃から欧米の推理小説を愛読しており、特にエドガー・アラン・ポーに傾倒しています。

その名をもじって江戸川乱歩というペンネームにしたほどです。

1923年に「新青年」という雑誌に掲載された「二銭銅貨」という作品で作家としてデビューしました。

江戸川乱歩の代表作を挙げると、「人間椅子」「黒蜥蜴」「怪人二十面相」等があります。

江戸川乱歩の晩年

江戸川乱歩の晩年は、作家としてはあまり活動しなくなっていました。

本人も推理物は初めの作品が最も優れていて、段々と筆が鈍って来るのが一般的だとインタビューで語っていたようです。

創作意欲は衰えていましたが、日本探偵作家クラブを設立するなど推理小説界の発展を目指す活動に尽力します。

日本探偵作家クラブは、現在日本推理作家協会となっています。

探偵小説を奨励するために、江戸川乱歩賞も制定されました。

この賞は、推理作家への登竜門として知られています。

また、1957年からは「宝石」という探偵小説誌の編集にも携わり、新人の発掘にも力を入れました。

江戸川乱歩によって見いだされた作家も多数います。

それから海外の推理小説の作家とも交流を行っていました。

アメリカの推理作家として有名なエラリー・クイーンやオランダのロバート・ファン・ヒューリック、スパイ小説で人気のロマン・キム等、多くの作家と交流していたようです。

エラリー・クイーンとの交流をきっかけに、アメリカ探偵作家クラブの会員にもなっています。

ただし、晩年には様々な病気に悩まされていて、高血圧や動脈硬化、パーキンソン病を患っていました。

最晩年はパーキンソン病によって寝たきりになっていたようです。

江戸川乱歩の最期

江戸川乱歩は、1965年に池袋にある自宅で亡くなります。

享年70でした。

死因はくも膜下出血といわれています。

持病である高血圧や動脈硬化、パーキンソン病などが影響したことも考えられますが、はっきりとは分かっていません。

江戸川乱歩をめぐる逸話

江戸川乱歩は本格派の推理小説に力を入れて執筆していましたが、注目されたのは猟奇的な作品や異常性愛を描いた作品でした。

また、児童向けの少年探偵団シリーズは大人気となり、子ども達から熱狂的な支持を受けました。

映像化もされており、怪人二十面相は人気キャラクターとなっています。

まとめ

江戸川乱歩は晩年、推理小説の発展や新人の発掘に力を尽くしています。

日本探偵作家クラブを設立し、推理小説かの登竜門となる江戸川乱歩賞も創設しました。

海外の作家との交流も積極的に行っています。

また、高血圧やパーキンソン病などを患っており、70歳の時にくも膜下出血によって亡くなっています。

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