マリッジブルーで命を落とした?
「可愛かずみ」の散り際とは?
この記事では可愛かずみの晩年と散り際について解説していきます。
「可愛かずみ」とは?簡単に説明
にっかつロマンポルノがデビュー作品となるも「美保純」氏同様に着実にステップアップし、女優としての評価を高めたことで知られています。
1980年代前半にはアイドル的人気を確立。
『オレたちひょうきん族』では「中森明菜」に扮して「ひょうきんベストテン」の準主役として度々画面を賑わせていたのを覚えているかたも多いことでしょう。
90年代は「志村けん」氏の番組に良く登場していたことでも有名です。
「可愛かずみ」の晩年
晩年も仕事は順調だったといってよく、特に志村氏の『志村けんのバカ殿様』『志村けんのだいじょうぶだぁ』でその姿を見た記憶がある方は多いのではないでしょうか。
「片岡鶴太郎」氏、この当時はマーシーとして人気のあった「田代まさし」氏とドラマで共演するなど90年代前半よくテレビでその顔をみることになりました。
しかしプライベートでは『ヤクルト・スワローズ』のエースであった「川崎憲次郎」氏が交際宣言をするもの、翌年には破局。
また表だってはいませんでしたが、仕事にも悩みを抱えていたとされます。
「可愛かずみ」の死に様
1997年5月9日19時59分、緊急搬送された新宿区の東京医科大学病院で死亡が確認されました。
32歳没。
死因はマンションの7階から飛び降りて頭蓋骨骨折によるものとされています。
緊急搬送時には既に心肺停止だったそうです。
「可愛かずみ」の死に様の信憑性
当初から2つの説が流れていました。
1つは翌日に実業家と婚約する予定だったためマリッジブルーが理由。
もう1つは川崎投手が5階に住んでいるマンションからの身投げだったため当てつけによるものと当時大きな憶測が飛び交うことになりました。
しかし死後17年経過後にTBS系の番組で特集が組まれ、そこで新たな真実が知らされることになります。
それは当日既に自殺未遂を起こしていたことでした。
当時の大親友である「川上麻衣子」氏からも何度もリストカットをして世話をしたと証言がされています。
そして薬物依存が明かされます。
ベテランの女優に演技に苦言されたことから過換気症候群を発症。
そこから薬に頼る生活がはじまりました。
その後芸能界のルートで処方薬ではない形で強力な精神安定剤を入手。
依存性になり副作用で記憶は飛び、興奮状態に頻繁になってしまうと約半年で3度の自殺未遂を起こしていたことが明らかになりました。
また亡くなった前日には川上氏の自宅へ留守番電話が着電。
これに返事をしていれば可愛氏の死は防げたのではないかと川上氏は自責の念にかられていました。
まとめ
1997年5月9日19時59分、新宿区の東京医科大学病院で死亡が確認されています。
32歳没。
死因はマンション7階からの飛び降りによる頭蓋骨骨折によるものでした。
死の原因は仕事では演技する恐怖から過喚起症候群から薬物を使用する様になり、そこから依存性へ陥ったようです。
川崎投手との破局、実業家との結婚を含めたマリッジブルーの側面もあったのは間違いないでしょう。
また同じマンションに住んでいた志村氏とフライデーされ、迷惑をかけたと悩んでリストカットしたこともあったようです。
自殺に繋がる理由が多くあるため、飛び降りた理由は本人しかわからないのが本当のところではないでしょうか。