「二谷英明」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「二谷英明」の死に際とは?日本の人物

「二谷英明(にたにひであき)」とは?

二谷英明の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「二谷英明」とは?簡単に説明

二谷英明は京都府舞鶴市出身の俳優です。

ダンプガイの愛称で知られ、タフガイの石原裕次郎やマイトガイの小林旭などとともに日活アクション映画の全盛期を支えた映画スターでした。

また1977年にスタートしたテレビドラマ「特捜最前線」で演じた神代恭介警視正役はまさに二谷の当たり役で、10年間509回放送された本作は二谷の代表作となりました。



「二谷英明」の晩年

二谷英明は1979年に放送された「特捜最前線」の北海道ロケ中のスキー転倒事故で頸椎骨折する重傷を負います。

4か月後には見事に現場に復帰しますが、後年テレビのトーク番組で医者から「(俳優生命は)もう終わりか」と言われるほどの危機的状況だったことを明かしていました。

その後、ヘビースモーカーだった二谷を襲ったのは喫煙が大きな原因とされる心筋梗塞で、さらに2003年には脳梗塞で倒れました。

そのため、以降は高級老人ホームに入居し、療養に努めます。

ただし、大好きな喫煙だけはやめられなかったようです。



「二谷英明」の死に様

二谷英明は2012年1月7日午後4時58分、入院先の東京都新宿区の慶応義塾大学病院で肺炎のため亡くなりました。

81歳でした。

二谷は2011年12月26日に慶応義塾大学病院に検査入院することになります。

その後、肺炎を患ったようですが、亡くなるまでは大好きな読書にふける毎日で、体調は安定していました。

年が明けた1月7日、この日も家族はいつも通り病院に見舞いに来ていましたが、午後2時過ぎに二谷の容体が急変し、妻の白川由美や一人娘で元女優の二谷友里恵、友里恵の夫の平田修トライグループ会長、孫に看取られながら息を引き取っています。

「二谷英明」の死に様の信憑性

二谷英明と白川由美とは仲睦まじい夫婦としてよく知られていました。

それを知ってか、1988年から1993年にはJRの熟年カップル向けの「フルムーン夫婦グリーンパス」のCMに仲良く出演しています。

仲睦まじい2人だったために二谷の死に対し白川のショックは激しく、長らく遺体から離れられなかったと言われています。

そんな様子からも、また亡くなったのが病院であることからも二谷の死に関して不審な点はなく、死に様の信憑性は高いと言えます。

ただ、2000年に女性週刊誌が「二谷英明が認知症のため離婚の危機にある」という記事を報じています。

当時、二谷夫婦の離婚説に対し報道陣に笑いながら否定していた白川由美でしたが、その3年後に二谷が脳梗塞で倒れた時は彼を老人ホームに入れています。

家族内でどんな話があったのか、どういう事情があったのかは分かりませんが、仲睦まじかった夫婦にしては少し違和感が感じられます。

まとめ

意外な関係でしたが、二谷を「東京のお父さん」と慕っていたのがあの歌手の長渕剛で、二谷の葬儀では友人代表として「12色のクレパス」を熱唱しています。

他にも葬儀の参列者は多彩な顔ぶれで、二谷英明の人柄がうかがえます。

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