賛否両論の認知症を公開した晩年「南田洋子」の散り際とは?
この記事では南田洋子の晩年と散り際について解説していきます。
「南田洋子」とは?簡単に説明
若い頃は大映『十代の性典』の性典スターでスターへの階段を半ば登らされた形でしたが、日活へ移籍後その才能が花開いた形になりました。
石原裕次郎のデビュー作で知られる『太陽の季節』で後に夫となる「長門裕之」氏と共演、同作で一気に看板スターにのし上がります。
夫の長門氏が強面の悪役や憎まれ役を演じる一方で、おしどり夫婦として活躍、夫の優面を引き出しています。
アラフィフの方にはクイズダービーの元祖お惚け役の2枠の印象も強かったことでしょう。
「南田洋子」の晩年
2006年にひっそりと引退していましたが、当時はそれほど騒がれることはありませんでした。
年齢的にも自然にフェイドアウトしていったと思われるなかで長門氏がそれとなく引退を示唆した前後から、女性週刊誌、タブロイド紙でゴシップ記事が書かれるようになります。
08年3月に『週刊女性』で直撃記事が掲載され、深夜徘徊、消えゆく記憶のセンセーショナルな文言が並びました。
そして洋子氏のデビュー来の親友である「黒柳徹子」氏の『徹子の部屋』に長門氏が出演、外出した時に夫人が困らないように認知症で要介護状態にあることを告白しています。
また『報道発 ドキュメンタリ宣言』で介護状態の彼女の姿を見せたのは衝撃的で賛否両論を呼ぶことになりました。
「南田洋子」の死に様
2009年10月21日10時56分に東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。
76歳没。
前日20日の会見で長門氏がかなり切迫した状態であることを告白したばかりでした。
「南田洋子」の死に様の信憑性
前述したドキュメンタリーと09年5月『待ってくれ、洋子』を出版して様子を公開。
さらには亡くなる直前の10月9日『中居正広の金曜日のスマたちへ』での映像は今も動画サイトに残り、彼女の様子を具体的に知ることが可能です。
東京の自宅を介護用に改装するとともに介護費用の捻出をするためであり、京都の自宅も売りはらっています。
しかし惨めなまでに老いた妻の姿を晒して金稼ぎをしているなどの批判も噴出。
さらには「津川雅彦」氏との兄弟不仲、「朝丘雪路」氏との嫁同士の不仲、さらには「沢村国太郎」氏の介護問題などまで蒸し返されることとなりました。
実のところ洋子氏の体調は09年に入ってからは苦難の連続。
2月に脳梗塞を発症すると4月には意識混濁の状況に陥りました。
この危機的状態を乗り越えると肝臓の数値も戻り、認知症も和らぎ落ち着いた様子だったと言います。
しかし10月17日にクモ膜下出血を起こして緊急搬送。
水頭症の症状が強く出たため手術を行いましたが、自発呼吸ができずに危篤状態に陥ってしまいました。
その結果ついに21日に力尽きています。
まとめ
2009年10月21日10時56分に東京都文京区の順天堂大学医学部付属順天堂病院で死去。
76歳没。
死因は同月17日に発症したクモ膜下出血によるものでした。
入院した当初から意識はなく危機的状態だったと言います。
脳に水が溜まっており、手術を行うも人工呼吸器が外せず、自発呼吸はできないまま。
20日夜に長門氏が危機的状態を打ち明けていましたが、その翌日に息を引き取っています。