「江副浩正」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「江副浩正」の死に際とは?日本の人物

転倒した理由が謎「江副浩正」の散り際とは?

この記事では江副浩正の晩年と最期について解説します。

「江副浩正」とは?簡単に説明

猫も杓子もリクルート事件で大騒ぎだったのが、バブル崩壊直前の日本の世相でした。

江副浩正氏はその渦中のど真ん中にいた人物です。

未公開のリクルートコスモス株を有力な政治家へと譲渡。

結果的に自身は逮捕され、竹下内閣は総辞職。

しかし自民党の有力議員にはお咎めなしで事件は収束したことで様々な憶測が飛び交いました。

92年にダイエーに自身の保有株を売却し、個人債務を返済。

表舞台から姿を消しました。



「江副浩正」の晩年

2009年に出版した著書にて、自身のリクルート事件を改めて否定。

新規事業として東京を訪れる外国人観光客の短期滞在用の家具付きサービスアパートメントを展開。

立ち上げから2012年までの12年間の実績は18棟1200室で80%の平均稼働率を誇り、不動産事業で実績を残しています。



「江副浩正」の死に様

2013年2月8日に駿河台日本大学病院にて永眠しています。

76歳のことでした。

リクルート時代に開発を手掛けた岩手県八幡平市安比高原スキー場で早朝スキーを堪能した帰りに事件は起こりました。

東北新幹線で盛岡から帰京するもホームで突然転倒。

床に後頭部を打ち付けてしまいました。

緊急搬送されましたが、既に意識はありませんでした。

検査で硬膜下血腫が判明。

意識が戻らず、それが原因となり誤嚥性の肺炎を発症。

死因は肺炎と発表されただけですが、8割がた誤嚥性によるものだと思われます。

「江副浩正」の死に様の信憑性

当時の主要紙には死亡日時と死因の肺炎以外は公表されていませんでした。

もっぱらリクルート事件を回顧した記事ばかりで転倒した事実すら公表されていません。

その後ネットや出版物で江副氏の追悼記事が出始め、死亡までの経緯が明らかになっています。

1月31日当日は岩手で早朝スキーを堪能し、帰京後東京駅のホームで突然後ろに転倒したそうです。

当日の東京は最高気温が10度を切っていましたが、天気は晴れ。

駅のホームが凍結していて滑って転倒はまずあり得ないでしょう。

新幹線内で缶チューハイ2本分飲酒、アルツハイマーに罹患していたため足腰が弱っており、何らかの拍子で後ろに重心がかかって転倒などが考えられます。

また76歳という年齢から何もないところでつまづく可能性すらあるため、真実はわからないのが現実でしょう。

100万円入ったボストンバッグを新幹線の網棚に忘れたため、慌てて振り返った際に足がもつれて転倒したのではないかとも推測できます。

しかしこれもまた推測にしかすぎません。

まとめ

江副浩正氏は2013年2月8日に帰らぬ人となりました。

転倒直後から硬膜下血腫を発症。

処置は施したもの最期まで意識は回復しなかったとされます。

意識が戻らないことで唾液を誤嚥する可能性は飛躍的にあがり、その時一緒に細菌が肺に入って炎症を起こすのはそう珍しくありません。

2021年に出版された『起業の天才!』で転倒から死去までの新聞には掲載されていない情報を知ることができるでしょう。

高齢、早朝スキーによる疲労、アルコール、アルツハイマー、大金を車内に忘れた焦りなどが重なったのが不幸な結末に繋がったように思えました。

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