「成田三樹夫」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「成田三樹夫」の死に際とは?日本の人物

「成田三樹夫(なりたみきお)」とは?

成田三樹夫の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「成田三樹夫」とは?簡単に説明

成田三樹夫は昭和期を代表する名悪役と言われた俳優で、特にクールなインテリやくざの役がとても似合う人でした。

それもそのはず、身長173cm、体重60kgのスラリとした引き締まった身体にニヒルな二枚目顔、さらに東京大学に合格するほどの学力レベルを持っているため、ニヒルとユーモアを併せ持つ希有な俳優として存在感がありました。

特にクセの強い敵役はまさにハマリ役で、ニヒルな悪役俳優として人気を得ていきます。



「成田三樹夫」の晩年

酒好きの成田は若い頃から勝新太郎ら俳優仲間と毎日のように飲み歩いていたため、30歳代半ばで胃潰瘍を患います。

それからは胃に負担をかけないように注意していましたが、1989年(平成元年)頃に進行したスキルス胃がんが発覚します。

勘のいい成田は癌であることを悟っていたようで、そんな成田に隠し事をしても無駄と覚悟した妻の温子は成田に癌であることを正直に話します。

12月には、当時副院長をしていた松崎松平の妻と成田が従弟同士だった関係から東海大学医学部附属東京病院に入院し、胃の3分の2を切除する手術を受けます。

入院中は好きな本を読んだり、50歳頃から始めた俳句作りを楽しんでいましたが、一方で医師や看護婦を何度も呼ぶのは申し訳ないと言って、遠慮深く静かで我慢強い闘病生活を送っていたとのことです。



「成田三樹夫」の死に様

成田三樹夫は1990年(平成2年)4月9日に東海大学医学部附属東京病院でスキルス胃がんのため亡くなっています。

55歳という若さでした。

眠るように亡くなった成田の前で、日頃より成田から「いざという時でも泣いたらダメだ」と言われていた妻の温子は泣かずに最期を看取ったとのことです。

「成田三樹夫」の死に様の信憑性

成田三樹夫が亡くなったのは病院と言うことで信憑性は高いでしょう。

また、成田が亡くなった日に俳優仲間の渡瀬恒彦が偶然、病院に見舞いに来ていたとのことをワイドショーのインタビューで答えていました。

12月に実施した手術は手遅れを避けるために急いで決めて行なったのですが、進行性の癌だったこと、そしてすでにかなり進行した状態だったことから、治療もむなしく、4ヶ月後の死去となったものです。

まとめ

余人を持って代えがたいというフレーズが見事に当てはまる成田三樹夫のニヒルとユーモアを併せ持った名悪役ぶりですが、さらに視聴者を驚かせたのは松田優昨主演のテレビドラマ「探偵物語」での「工藤ちゃ~ん!」で有名な服部刑事役です。

あれだけ凄みのある悪役を演じきる成田三樹夫が、その確立したイメージを根こそぎ根底から覆すようなコミカルな役を演じることに天地がひっくり返るほど驚かされたと同時に、これもまた成田の当り役として歴史に残っている凄さを改めて感じます。

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