「中島葵」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「中島葵」の死に際とは?日本の人物

衝撃的だった愛のコリーダ「中島葵」の散り際とは?

この記事では中島葵の晩年と散り際について解説していきます。

「中島葵」とは?簡単に説明

2021年約45年の刻を越えて2Kデジタルリマスター化で全国ロードショーされて話題を呼んだ1976年作品『愛のコリーダ』。

その主要登場人物のトクを演じたことで知られています。

題材が猟奇的事件で現在でも度々話題になる『阿部定事件』。

彼女と「松田暎子」氏の濃厚な濡れ場は当時も大きな反響を呼びました。

『にっかつロマンポルノ』に出演していたことでお色気女優のイメージが先行していたのは否めませんでしたが、同作でその演技力の評価が追いついたと言うべきでしょうか。

テレビ、映画、舞台と幅広く活躍していくことになります。



「中島葵」の晩年

1978年パートナーでもある「芥正彦」氏と劇団ホモフィクタスを立ち上げると以降、妻であり戦友、同士として芥氏を支えていくことになります。

またテレビでは「西部警察」「遠山の金さん」などの人気ドラマに時代劇、現代劇を問わずに出演し、その姿を見ることができました。

また演劇にも多く出演するとともに1988年には“東洋のマタ・ハリ”“満州のジャンヌ・ダルク”とも言われた戦中のスパイ「川島芳子」を題材に初プロデュース公演を行うなど精力的に活動を続けています。

そんな矢先に体調に異変が発生。

女優活動とともに闘病生活を強いられることになりました。



「中島葵」の死に様

1991年5月16日死去、45歳没。

兼ねてから患っていた子宮頸がんがリンパ節にまで転移。

芥氏とともに最期まで闘うも力尽きてしまいました。

「中島葵」の死に様の信憑性

彼女の闘病生活については内縁の夫であった「芥正彦」氏編の『女優中島葵もう一人の「或る女」がここに生まれる』でわずかながら垣間見ることができるでしょう。

芥氏が彼女を甲斐甲斐しく看護する仲睦まじいシーンを見ることができる一方、亡くなる直前の痩せ細った姿までありのままの姿を見ることができます。

彼女にセックスシンボルの印象を抱いていたであろう団塊の世代には衝撃的なものになるかもしれません。

また子宮頸がんはこの時代にはワクチン接種で予防の概念もなく、リンパ節にまで転移が及んだことで手の打ちようがありませんでした。

まとめ

1991年5月16日に死去。

45歳没。

死因は子宮頸癌によるものでした。

亡くなる前年の90年も精力的に二時間ドラマや映画に出演していました。

没後に内縁のパートナーであった芥氏と母「梅香ふみ子」による追悼本が出版されており、そのなかの写真で闘病生活がいかに過酷なものであったかを知ることができるはずです。

映画や週刊誌のグラビアで彼女の姿を知っている団塊の世代の方や21年に公開された2Kデジタルリマスター版『愛のコリーダ』で彼女を知った方には衝撃的なものになるのは間違いないところでしょう。

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