ロン・ヤス日米関係を強固に!「中曽根康弘」の散り際とは?
この記事では中曽根康弘の晩年と散り際を解説していきます。
「中曽根康弘」とは?簡単に説明
首相在任期間は歴代5位ながらも「ロナルド・レーガン」大統領とのロン・ヤス関係はもとより日本不沈空母化計画など派手ながらも強い日本を築いた印象を持たれるのが中曽根氏に対して多くの方が持つ印象だと思います。
また時代を変貌するために劇薬を投下する手腕を振るいました。
国鉄、電電公社、専売公社だけでなく日本航空をも民営化。
高度経済成長が終わり、停滞感募る日本を改革した首相だと言えるでしょう。
三角大福中の一人である実力者。
諸般の事情で大トリでの首相登板となりました。
「中曽根康弘」の晩年
三角大福中の実力者のなかでもっとも長く首相を在任。
「福田赳夫」氏も長寿でしたが中曽根氏は過酷な首相を長期間経験しながらも101歳まで健在。
2017年5月に99歳で永田町の憲政記念館で挨拶をした際にも年齢とはかけ離れた喋りを見せていました。
週2回は事務所を訪れて来客対応、書類整理に加えて、目に留めた書籍は届けさせて購入する気力もありました。
足腰は弱ってきたとはいうもの、普通の99歳の老人ではないとニュースを見た視聴者には感じさせたものです。
「中曽根康弘」の死に様
2019年11月29日7時22分に101歳で死去、享年ならば102歳という長寿で生涯を終えています。
死因は老衰によるものでした。
「中曽根康弘」の死に様の信憑性
在任期間戦後5位の首相経験者ながら長寿ゆえに表舞台から消えた期間が長かったこともあって、その死に様は身内で孫の「中曽根康隆」衆議院議員からの回想が多くなりました。
同期、中曽根派の議員はもとより当時の中曽根番の記者達も存命している方は少なくなってしまった事情もあるでしょう。
康隆氏からは健在ぶりを見せていた一方で年齢なりに入退院を繰り返していたことが明らかにされています。
亡くなる前の2ヶ月は病院にいたもの、新聞や書籍を隅から隅まで目を通しては線を引いてチェック。
またテレビの国会中継を常に見ていたとされます。
亡くなる2日前に面会した時にも、康隆氏の活動報告を普段通りに嬉しそうに聞いていたそうです。
最期は子供と孫に見送られて息を引き取った大往生だと言っていいでしょう。
まとめ
2019年11月29日7時22分に入院先で永眠しています。
101歳没。
死因は病気ではなく加齢による老衰でした。
入退院は繰り返したと言われるもの、17年5月に永田町憲政記念館での挨拶では元気な姿を見せており、亡くなる直前までバイタリティに溢れていました。
新聞や書籍を3〜4時間チェックを入れながら熟読、国会中継も見ていたそうです。
その活力となったのは自身が衆議院議員になった時からの悲願であった憲法改正・自己制定だったといえるでしょう。
病気ではなく、老衰で天寿を全うした大往生の最期になりました。