「三國連太郎」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「三國連太郎」の死に際とは?日本の人物

「三國連太郎(みくにれんたろう)」とは?

三國連太郎の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「三國連太郎」とは?簡単に説明

日本を代表する名優の一人です。

「善魔」で映画デビューし、代表作には「飢餓海峡」「異母兄弟」「復讐するは我にあり」など多数ありますが、何と言っても外せないのが「釣りバカ日誌」シリーズです。

三國は“スーさん”の愛称で知られ、西田敏行との軽妙な掛け合いでヒットし、シリーズ全22作に出演しています。

私生活では4度の結婚を経験しており、3番目の妻との間に俳優の佐藤浩市をもうけています。



「三國連太郎」の晩年

三國は若い頃、“狂気の役者”として有名でした。

老人役を演じるために麻酔抜きで前歯を10本も抜いたこともあります。

1957年の「異母兄弟」という作品でのことです。

また、三國には前張り伝説というのもあり、濡れ場シーンでは前張り無しで臨み、隙があれば本番を試みるといった暴挙で共演女優は恐怖でおののいていたそうです。

私生活でも自由奔放だった恋愛遍歴は有名で、女優・太地喜和子との不倫は芸能界のスキャンダル史に残る有名な話です。

しかし、晩年の作品には温厚なイメージが出てきます。

私生活でも晩年は静岡県沼津市の駿河湾を望める高台にある自宅で静かに暮らしています。

元々妻の父親の別荘だったのを買い取った家で、仕事の時は東京と静岡とを行き来し、休みの時は富士山を眺めながら庭いじりを楽しんでいたようです。

なお、亡くなる半年前の2012年(平成24年)9月に、同年春から首都圏近郊の療養型病院に入院(または老人ホームに入居)していると週刊誌に報じられています。

それによると、原因は背骨を痛め一時寝たきりとなったためとし、報じられた当時はリハビリの効果もあって歩けるまで回復しているとのことでした。



「三國連太郎」の死に様

2013年(平成25年)4月14日午前9時18分、三國連太郎は東京都稲城市の療養型病院で急性呼吸心不全のため亡くなります。

90歳でした。

三國はかつて糖尿病で入院したことはありますが、がんのような大病で苦しんで死ぬといった状態ではなかったようです。

亡くなる3日前までは普通に食事しており、前日と当日の2日間だけ嘔吐があったものの、ほとんど老衰に近い最期だったとのことです。

三國にとっては、2012年製作の原田眞人監督作「わが母の記」が遺作となりました。

「三國連太郎」の死に様の信憑性

三國連太郎は病院内で亡くなっており、死に様の信憑性は高いでしょう。

死因が急性心不全とのことですが、苦しむ気配はなく静かに息を引き取ったらしく、若い頃のヤンチャな三國とは対照的な最期だったようです。

なお、三國の最期は4番目の妻(最後の妻)である友子夫人が看取っています。

まとめ

三國連太郎の役者魂は「釣りバカ日誌」での西田敏行とのエピソードでも如実に表れています。

三國と西田は劇中で大の仲良しを演じていますが、三國は「お互い馴れ合わないようにふだんは会わないようにしよう」と言ってプライベートでは一切交流が無かったそうです。

それだけに西田は三國のことを心から尊敬しており、22年に渡る名コンビが生まれたと思います。

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