この記事では、松方弘樹の晩年や最期を分かりやすく説明します。
松方弘樹とは?
松方弘樹とは、時代劇や任侠映画で活躍した俳優です。
時代劇俳優の近衛十四郎と女優の水谷八重子の長男として誕生します。
17歳で父がいる東映に入り、「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビューを果たします。
その後は様々な時代劇や任侠映画で活躍しました。
代表作となるテレビドラマには「人形佐七捕物帳」や「名奉行遠山の金さん」「大江戸捜査網」等があります。
映画では「仁義なき戦い」や「沖縄やくざ戦争」等が挙げられます。
松方弘樹の晩年
松方弘樹は晩年、個人事務所であるMAREを設立し、株式会社夢グループと提携して舞台公演や歌謡ショーを中心に活動していました。
テレビに出演することは少なくなっていましたが、そのきっかけとなったのは2番目の妻である仁科亜季子との離婚でした。
仁科亜季子が子宮頸がんを発症し、闘病生活を送る最中に30歳以上年下のホステスと不倫をしていたことが明らかとなったのです。
闘病する妻を支える夫というイメージが大きく崩れ、テレビ出演は激減しました。
また、離婚後は映画制作などに失敗し、多額の負債を背負っていたともいいます。
仁科が生んだ娘と息子とも絶縁状態となりました。
松方弘樹の死に様
松方弘樹は、2016年に脳リンパ腫であることが判明します。
脳リンパ腫は血液のがんで、血液細胞の1つであるリンパ球が腫瘍化したものです。
そのため休養して、治療に専念することになりました。
それに伴い夢グループ主催の歌謡ショーや舞台も降板しています。
放射線治療や抗がん剤治療を行っていましたが、脳梗塞を発症して徐々に体調は悪化していきました。
そして2017年、入院していた東京都内の病院で亡くなります。
享年74でした。
松方弘樹の死に様の信憑性
松方弘樹を看取ったのは、仁科亜希子との離婚の原因となり30年以上に及ぶ事実婚の関係にあった女性です。
松方弘樹はこの女性と入籍したいという希望を持っていたようですが、本人の希望もあって事実婚という関係のままでした。
松方の愛人と週刊誌でバッシングされ、親からも勘当同然の扱いを受けたといわれていますが、最後まで添い遂げています。
まとめ
松方弘樹は晩年、歌謡ショーや舞台公演を中心に活動していました。
脳リンパ腫を患い、闘病生活を送ります。
そして、30年以上事実婚の関係にあった女性に看取られながら亡くなりました。