この記事では、「ポール・ゴーギャン」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「ポール・ゴーギャン」とは?
ポール・ゴーギャンとはフランスの印象派の画家で、その絵は大胆な装飾的な構図や色彩が特徴でした。
パリの株式仲買商に勤務し裕福な生活を送っていましたが、35歳の時に株式相場が暴落したことをきっかけに画家に転身します。
しかし、絵画市場も縮小したこともあり、絵は思うように売れず困窮生活を余儀なくされます。
様々な傑作を残しているゴーギャンですが、生前画家として成功することはありませんでした。
「ポール・ゴーギャン」の晩年
ポール・ゴーギャンは晩年、タヒチに滞在していました。
パリの美術界では孤立しており、生活費も高かったため逃げだしたといってもいいでしょう。
ゴーギャンがタヒチに滞在したのは2回で、1回目は1枚も絵は売れませんでした。
ゴーギャンとしてはフランス領だったタヒチで、フランス人に絵を売り込むつもりだったようです。
45歳の時にパリに戻り、個展を開いています。
しかし、成功とはいかなかったようで、2年後再びタヒチに向かいました。
もう帰って来ることはないと決意していたようです。
タヒチでも困窮した生活を送っており、梅毒に感染しましたが病院に行くお金もありませんでした。
ただし、画商のヴォラールがゴーギャンの絵を定期的に購入してくれることになったので、極貧生活からは抜け出すことができます。
最晩年にはマルキーズ諸島に渡りました。
「ポール・ゴーギャン」の死に様
ポール・ゴーギャンは、1901年にマルキーズ諸島のアトゥオナというところに移り住みます。
そこで14歳の少女マリー・ローズを現地妻にし一緒に暮らしますが、健康状態は悪化していきました。
マリー・ローズが看病をしていましたが、妊娠し実家に戻ってしまいます。
そして、1903年5月8日に亡くなりました。
享年54です。
「ポール・ゴーギャン」の死に様の信憑性
ポール・ゴーギャンの死因は、はっきりとは分かっていません。
梅毒が悪化したという説もありますし、心臓発作だったという説もあります。
薬物の過剰摂取といった噂もありました。
また、ゴーギャンはタヒチで4人の愛人や現地妻との間に4人の子どもをもうけていますが、パリで仲買商をしていた時に結婚した妻メットとも離婚していません。
メットとの間にも5人の子どもがいます。
まとめ
ポール・ゴーギャンは晩年をタヒチで過ごし、54歳で亡くなりました。