この記事では、「テレサ・テン」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「テレサ・テン」とは?簡単に説明
「テレサ・テン」は「アジアの歌姫」とも称される台湾出身の歌手です。
二つ名が示す通り、1970年代から1990年代にかけて、日本や中国、タイをはじめ、アジア圏で広く人気を博しました。
10代にしてプロ歌手としてデビューを果たし、東南アジア各国や日本で人気を獲得、一気にアジアのトップスターとしての階段を駆け上がりました。
「テレサ・テン」の晩年と最期
1986年、中華人民共和国では改革開放路線が推し進められたことにより、「テレサ・テン」の人気に再び火が付きます。
この時、米タイム誌より世界7大歌手の1人に選出されました。
翌年には香港移住を機に日本以外での歌手活動はほぼ休止となります。
そして、1989年、中華人民共和国で起きていた民主化デモを支援するために、香港でのコンサートイベントに参加しました。
しかし、天安門事件により民主化は頓挫し、彼女自身の夢でもあった両親の生まれ故郷である中国本土での初コンサートも中止となってしまうのでした。
1992年頃より喘息が悪化、彼女の体を蝕んでいき、この時期から表舞台に姿を現す機会も減っていきます。
そして、1995年5月8日に静養の目的で訪れていたタイのチェンマイにて、気管支喘息による発作を起こし、搬送された病院で息を引き取ります。
享年42歳でした。
「テレサ・テン」の死に様の信憑性
部屋から出てきて、倒れたところをホテルの従業員によって発見され、救急搬送されました。
しかし、交通事情の悪さにより、病院到着まで30分も掛かってしまい、到着したときにはすでに死去していたとされています。
「テレサ・テン」の死亡説
生前、幾度か「テレサ・テン」の死亡説が広まりました。
最初は1990年に父親の葬儀を欠席したことに端を発した病死説が流れ、次は1991年に病死説や暗殺説が流れます。
そして、1995年に死去したときにも暗殺説が流布したと言われています。
まとめ
「テレサ・テン」は「アジアの歌姫」の二つ名を持つ台湾を代表する歌手のひとりです。
晩年も衰えることのない人気を博しますが、喘息の悪化により表舞台から距離を置くようになります。
そして、1995年5月8日にタイのチェンマイにて、気管支喘息の発作が原因で42歳の人生に幕を閉じました。