「ジェーン・シーモア」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「ジェーン・シーモア」の死に際とは?世界の人物

この記事では、「ジェーン・シーモア」の晩年や最期を分かりやすく説明します。

「ジェーン・シーモア」とは?

「ジェーン・シーモア」とは、イングランド王ヘンリー8世の3番目の王妃です。

エドワード6世の生母としても知られています。

父であるジョン・シーモアは、ヘンリー8世の腹心の部下でした。

「ジェーン・シーモア」はヘンリー8世の最初の妻であるキャサリンの侍女して仕えることになります。

ヘンリー8世がキャサリンと離婚しアン・ブーリンと再婚すると、今度はアンの侍女となりました。

やがてヘンリー8世はジェーンを見初め、アンを処刑してジェーンと結婚します。



「ジェーン・シーモア」の晩年

1536年にヘンリー8世と結婚しました。

ジェーンとの結婚を望んだヘンリー8世は、当時の妻であったアン・ブーリンに自分を暗殺しようとした大逆の罪や姦通といった罪を着せ処刑してしまいます。

アン・ブーリンは、後のイングランド女王エリザベス1世を生んだ女性です。

男児には恵まれなかったこともあり夫の心が離れ、非業の死を遂げました。

ヘンリー8世が「ジェーン・シーモア」との婚約を発表したのは、アン・ブーリンの処刑の翌日だったといいます。

その2週間後には、正式に結婚しています。



「ジェーン・シーモア」の死に様

「ジェーン・シーモア」は、ヘンリー8世と結婚した翌年妊娠します。

跡継ぎを望むロンドンは、王妃懐妊の報せに沸き立ったといわれています。

そして結婚した翌年の10月12日、「ジェーン・シーモア」は待望の男児を産み落としました。

これが後にイングランド王となるエドワード6世です。

しかし、出産は非常に難産で、ジェーンは体力が回復しないまま10月24日に亡くなりました。

息子であるエドワード6世の洗礼式にも担架に乗せられたまま出席したのですが、次第に悪化していき帰らぬ人となったのです。

「ジェーン・シーモア」の死に様の信憑性

「ジェーン・シーモア」の死因は、産褥熱といわれています。

産褥熱とは産道などにできた傷に細菌が感染し、発熱する病気です。

医学が発達していなかった当時は、産褥熱で亡くなる人は多かったとされます。

まさに出産は命がけでした。

当時は6人に1人の妊婦が出産で命を落としていました。

エドワード6世はヘンリー8世の死後に王位を継ぎますが、15歳で亡くなっています。

まとめ

「ジェーン・シーモア」はイングランドの跡継ぎとなる待望の男児を出産しますが、産褥熱によって亡くなってしまいます。

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