この記事では、ルイ・アームストロングの晩年や最期について紹介します。
ルイ・アームストロングとは?
ルイ・アームストロングとはアメリカのジャズトランペッターで、ヴォーカリストとしても活躍しました。
サッチモという愛称で親しまれています。
スキャットというジャズ独特の歌唱法を生み出した人物でもあります。
20代でキング・オリヴァーに見いだされます。
ジャズの本場ニューヨークに渡り、自らバンドを結成して「Heebie Jeebies」を発表しました。
この曲は、ジャズ史上初めてのスキャット曲として知られています。
ルイ・アームストロングの晩年
ルイ・アームストロングは晩年、ミュージシャンとして積極的に活動を行っていました。
1960年代のアメリカはビートルズを代表するポップ・ミュージックの全盛期でしたが、そんな中ルイ・アームストロングが発表した「ハロー・ドーリー」は全米でナンバーワンを獲得します。
ビートルズが連続して1位を獲得し続けている中での快挙でした。
その後、1967年には「この素晴らしい世界」を発表します。
この曲が世界的に大ヒットし、ルイ・アームストロングを代表する曲になりました。
アメリカは当時、泥沼のようなベトナム戦争の真っただ中にありました。
「この素晴らしい世界」は反戦歌として歌われるようになります。
また、現在まで様々なミュージシャンにカバーされています。
その後も「サッチモ・シングス・ディズニー」というアルバムを発表したり、ジェームス・ボンド主演の映画「女王陛下の007」の挿入歌「愛はすべてを超えて」を発表するなど音楽活動を行っていました。
ルイ・アームストロングの死に様
ルイ・アームストロングが亡くなったのは、1971年の7月のことでした。
その1か月ほど前にニューヨークのショーに出演した際、心臓発作を起こしてしまいます。
数週間の入院生活を送りますが、自宅に戻って療養中に息を引き取ります。
死因は心筋梗塞でした。
享年69です。
ルイ・アームストロングの死に様の信憑性
ルイ・アームストロングが心筋梗塞を起こしたのは、就寝中だったといわれています。
ニューヨークにある自宅で療養中でした。
ルイ・アームストロングは4度の結婚をしていますが、4番目の妻であるルシール・ウィルソンとは最後まで添い遂げています。
まとめ
ルイ・アームストロングは晩年も積極的に音楽活動を行っていました。
療養中に心筋梗塞を起こし、69歳で亡くなりました。