この記事では、「ジェームス・ブラウン」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「ジェームス・ブラウン」とは?
ジェームス・ブラウンとは、ソウルミュージックの帝王と呼ばれたミュージシャンです。
ブルースやゴスペルといった黒人音楽とポップスと呼ばれた白人音楽を融合し、ファンクと呼ばれる新しい音楽を築き上げました。
子ども時代は極貧生活を送っており、音楽の力で這い上がり、黒人公民権運動の象徴的な存在にもなっています。
マイケル・ジャクソンやプリンスなど、名だたるミュージシャンにも影響を与えたといわれています。
「ジェームス・ブラウン」の晩年
ジェームス・ブラウンは晩年、休止していた音楽活動を再開しています。
音楽活動を休止したのは、薬物の使用と暴行で有罪判決を受けたからです。
薬物の使用中に妻と喧嘩し、警察とカーチェイスまで繰り広げています。
刑務所にも服役しました。
また、1998年にも薬物で逮捕されていますし、2005年にも妻に対する家庭内暴力事件を起こす等スキャンダルも多くあったようです。
その一方で、ミュージシャンとしてはこれまでの功績が高く評価され、数々の賞を受賞しています。
1992年にはグラミー賞特別功労賞を受賞しました。
「ジェームス・ブラウン」の死に様
ジェームス・ブラウンは、2006年12月25日に亡くなりました。
享年73です。
死因は肺炎によるうっ血性心不全でした。
歯科クリニックを訪れたところ肺炎であることが分かり、入院しましたが翌日には亡くなってしまったのです。
葬儀にはマイケル・ジャクソンやMCハマーなども参列しています。
「ジェームス・ブラウン」の死に様の信憑性
ジェームス・ブラウンの死には、誰かに殺されたのではないかという噂があります。
なぜそんな噂が出たのかというと、ジェームス・ブラウンの死があまりにも突然だったからです。
亡くなった2006年には「Seven Decades Of Funk World Tour」という世界ツアーを行っていて、活動的に過ごしていました。
ただし、肺炎を患っていたのは間違いなく、心不全も急に起こることからそれだけで他殺というのは信憑性が薄いです。
まとめ
ジェームス・ブラウンは晩年、音楽活動を精力的に行っていました。
今までの功績が評価され、様々な賞を受賞しています。
しかし、73歳の時に肺炎になり、合併症であるうっ血性心不全で亡くなっています。