この記事では、「ジャコ・パストリアス」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「ジャコ・パストリアス」とは?
ジャコ・パストリアスとは、天才ベーシストと呼ばれたミュージシャンです。
エレクトリック・ベースの開拓者として知られており、卓越したテクニックを持っていました。
1976年にデビューアルバム「ジャコ・パストリアスの肖像」をリリースすると、世界中のベーシストに多大な影響を与えています。
ジャズのグループであるウェザー・リポートに加入し、曲の提供なども行います。
トップスターへの階段を駆け上がっていきました。
「ジャコ・パストリアス」の晩年
ジャコ・パストリアスの晩年は、ドラッグとアルコールに溺れた悲惨なものでした。
ウェザー・リポートに在籍していた頃からドラッグを常用するようになっており、1982年にウェザー・リポートを脱退してからはさらに生活が荒んでいったのです。
それから双極性障害も患っていたといいます。
健康状態は良くなく、コンサートツアーの最中にも奇行が目立つようになっていました。
妻とも離婚し、さらに状況は悪化していきます。
そして住んでいたアパートを追い出されてしまい、ホームレスにまで転落してしまいました。
精神病院に入院したこともありますが、また元のホームレスに戻ってしまったようです。
スターとしての面影はすでになく、多くのジャズクラブから出入り禁止になるなど音楽業界からも締め出されていました。
「ジャコ・パストリアス」の死に様
ジャコ・パストリアスは、1987年9月21日に亡くなりました。
その10日程前、ジャコ・パストリアスは泥酔状態でクラブのガードマンと乱闘騒ぎを起こしてしまいます。
ガードマンに投げ飛ばされた際、頭部を強打して脳挫傷を負いました。
それにより意識不明の状態に陥ってしまいます。
昏睡状態が続いていましたが、家族が話し合った末に人工呼吸器を外す決断をしたのです。
ジャコ・パストリアスは、家族に見守られながら35歳で亡くなりました。
「ジャコ・パストリアス」の死に様の信憑性
ジャコ・パストリアスを投げ飛ばしたガードマンは、暴行容疑で逮捕されました。
裁判の結果、第二級殺人罪が適用されています。
しかし、その4か月後には保釈されました。
まとめ
ジャコ・パストリアスは晩年、ドラッグとアルコールに溺れた生活を送っていました。
そして乱闘の際に脳挫傷を負い、35歳で亡くなります。