この記事では、チェ・ゲバラの晩年や最後について紹介します。
チェ・ゲバラとは?
チェ・ゲバラとはキューバのゲリラ指導者で、革命家として知られています。
本名は、エルネスト・ゲバラといいます。
「チェ」というのは親しみを込める時の呼びかけの言葉で、「チェ・ゲバラ」というのはあだ名でした。
アルゼンチンの生まれで、フィデル・カストロと出会いカストロと共にキューバに渡ってゲリラ戦を始めます。
キューバ革命をカストロと共に成し遂げ、キューバの市民権を与えられました。
チェ・ゲバラの晩年
チェ・ゲバラはキューバ革命の立役者で、革命に成功した後はキューバにおいて国立銀行総裁や工業相といった要職を務めました。
しかし、キューバの貿易相手国であるソ連に対してその外交姿勢を非難したことやカストロとの関係が悪くなったこともあり、キューバ政治から退くことを決断します。
キューバを離れたチェ・ゲバラは、ゲリラ戦争による世界革命を目指してアフリカに渡りました。
コンゴの動乱に加わり政府軍を指導しますが、軍の指揮の低さや政治的な対立に嫌気がさしてふたたびキューバに戻ります。
その後、新たな革命の場として選んだのはボリビアでした。
当時、ボリビアではバリエントスが軍事政権を敷いていました。
アメリカの支援を受け、鉱山などを支配していたのです。
チェ・ゲバラは、ゲリラ部隊を組織して反政府活動を展開しました。
チェ・ゲバラの死に様
チェ・ゲバラは、ボリビアで反政府活動を始めてから11か月後に亡くなります。
享年39でした。
戦闘中に政府軍に捕らえられ、銃殺されたのです。
チェ・ゲバラの死に様の信憑性
チェ・ゲバラは、ボリビアのイゲラ村の近くで捕らえられたといわれています。
小学校に収容され、ボリビア大統領バリエントスによって処刑が命じられました。
政府軍の兵士が銃で撃ちますが、何発か撃っても絶命には至りませんでした。
その時、ゲバラは「ちゃんと狙って撃て」と言ったといいます。
兵士が再び銃で撃ち、首と左胸に当たりましたがそれでもチェ・ゲバラは死ななかったので、別の兵士が至近距離から心臓を撃ち抜いたという逸話が残っています。
ゲバラの死によって、南米のゲリラ闘争は頓挫することとなりました。
まとめ
チェ・ゲバラはフィデル・カストロと共にキューバ革命を成し遂げますが、晩年はキューバを離れボリビアで再びゲリラ闘争を行っていました。
政府軍に捕えられ銃殺されます。
39歳でした。