月曜20時『ナショナル劇場』お馴染みの俳優「和田浩治」の散り際とは?
この記事では和田浩治の晩年と最期を解説します。
「和田浩治」とは?簡単に説明
時代劇は基本的に勧善懲悪であり、現代劇で言う与力が警察署長とするならば、現場を駆け回るのが同心役。
それを十八番としていたのが「和田浩治」氏と言っていいでしょう。
『大岡越前』派生作品の『疾風同心』『八丁堀暴れ軍団』で演じた同心「風間駿介」はハマリ役となりました。
その一方で日本映画黄金期には日活のスター「石原裕次郎」「小林旭」「赤城圭一郎」とともに4人をそれぞれダイヤの頂点に見立てた『ダイヤモンドライン』を形成しましたが、三人ほどのインパクトを残せずに終わっています。
「和田浩治」の晩年
『大岡越前』の登場人物である風間駿介がTBSを飛び出して、他局で単独主人公を務めたのは78年のこと。
ホームである『大岡越前』に帰還したのは82年。
ナショナル劇場では『水戸黄門』『江戸を斬る』のローテーション放送が4年続いたため、和田氏が駿介を演じるのは同局でも4年ぶりとなりました。
劇中では時間の流れがあり、同心として若手のエースから中堅同心にポジションも昇格。
最終的には番組オープニングクレジットも大岡夫妻に次ぐ序列3位になり、劇中での存在感は大きくなるばかりでした。
同枠の『江戸を斬る』には僅かな出演しかありませんでしたが、『水戸黄門』には各部に最低1回は出演。
ナショナル劇場における馴染みの役者さんとして茶の間に知られていたのは間違いありません。
「和田浩治」の死に様
1986年7月16日明け方5時に永眠することなりました。
42歳没。
死因は数年前から患っていた胃がんによるものでした。
がん宣告を受けてからは入退院を繰り返し大凡1年で力尽きています。
「和田浩治」の死に様の信憑性
既に前兆として胃の痛みは84年年末からあったもの、鎮痛剤で痛みを散らしていたとされます。
85年初夏に検査の結果で胃潰瘍ではなく、末期胃癌であることが判明。
そしてこの時点でようやく自身が癌だと知ったとのことでした。
それでも病を胃潰瘍と隠し、秋には仕事に復帰。
それに伴いワイドショーでは快気祝いとしてインタビュー収録されていますが、体調の悪さは明白だったと言えるでしょう。
実際『大岡越前』第9部では体調不良により出演できない回も多々あり、駿介は相模国小田原へ出向中の設定で話は進んでいくこととなりました。
96年は2月とゴールデンウィーク明け、2度の入院。
最後の入院直前には日テレの昼ワイドに出演しています。
前年秋に出演した『大岡越前』での姿と比較しても頬から顎にかけての痩せ方は顕著で病は隠せないところまで来ていたと言えるでしょう。
まとめ
「和田浩治」は1986年7月16日5時に永眠しています。
42歳没。
84年の年末から感じていたとされる痛みは翌85年初夏には耐えきれないものとなりました。
入院後の検査結果は胃潰瘍ではなく末期胃癌だと判明します。
それでも病名を胃潰瘍と公表すると病を押して『大岡越前』第9部の撮影にも参加しました。
しかし出演回数は前シリーズまでのほぼ全話フル出演からは2/3程度、出演時間、場面も大幅に減ることになっています。
『大岡越前』『疾風同心』でも同僚であった村上源次郎こと「大坂志郎」氏も第9部を持って病気療養のため降板。
源次郎は劇中でも死亡した扱いになりましたが、駿介については言及されていません。