フジテレビ黄金期を支えた女子アナトリオの1人といえば、有賀さつきが駆け抜けた人生とは?
この記事では有賀さつきの歩んだ晩年とその最期について解説します。
「有賀さつき」とは?簡単に説明
視聴率三冠、おもしろくなければテレビじゃないをキャッチコピーに絶頂期を迎えたフジテレビの看板女子アナウンサーの1人が有賀さつきです。
貴乃花夫人となった河野景子、ウッチャンナンチャンの内村光良との交際が話題になった八木亜希子とともに花の三人娘として絶大なる人気を誇っていました。
少し抜けたところのある親近感のある女子アナとして人気で女子アナブームの礎を築いた人物だと言っていいでしょう。
「有賀さつき」の晩年
フジテレビの女子アナからフリーアナウンサーになり、一度は芸能活動を引退したものの、2006年の離婚を契機に芸能活動を再開しています。
女子アナとしてはちょっと頭が弱いキャラクターにしていましたが、帰国子女で英語は堪能なのに加え、多種多彩な資格を所持していたこともあり、マルチな活動を展開していきます。
自分自身を磨きあげることを怠らず、2012年からは自身の母校であるフェリス女学院大学でアナウンス講座の講師としても活躍していました。
「有賀さつき」の死に様
訃報が届いたのは2018年2月5日のスポーツニッポンによる報道で関係者はもとより、父親にも病状は伏せていたとされます。
1月30日の午前8時前後に亡くなったと父親に病院から連絡があり、31日に通夜、翌2月1日に葬儀を密葬で行ったことも明かされました。
死因に関しては彼女の意思により当初は公表されませんでしたが、翌年の一周忌において父親が死因は卵巣がんによるものだと公表しています。
一年の刻が経過したことでそれまでの闘病過程も明らかにされていきました。
「有賀さつき」の死に様の信憑性
彼女が体調を崩したのは2016年前後からだとされていますが、実際には2015年には卵巣がんの診断がくだっており、大阪で卵巣がんのスペシャリストによる手術を受けていたことが改めて明かされました。
抗がん剤の影響もあったのでしょう。
2017年の夏にはフジの先輩の大御所アナ山村美智にウィッグを着けていることを自ら明かしました。
また病状の悪化は免れなかったのでしょう。
17年の10月にはフジ時代の女子アナで三期先輩にあたる松田朋恵には父親の世話を理由に年内で芸能活動を再停止することを打ち明けています。
このことから秋には既に体調がかなり芳しくなかったことが推測されるでしょう。
また復帰に備えて漢字検定の一級取得のための勉強を点滴しながら続けており、最期まで気力を失うことはありませんでした。
まとめ
有賀さつきは2018年1月30日の午前8時前後に永眠、52歳没でした。
急死のため死因について憶測が流れましたが、彼女の意思により公表されませんでした。
一周忌を契機に卵巣がんを患っていたことが公表され、15年には大阪で手術をしていたことも明るみとなりました。
18年の1月中旬に病状が悪化し入院しましたが、食欲はないものの闘病する気力は残されていたようです。
思わぬ急死となり、父親及び一人娘は看取ることも叶いませんでした。