没後の顛末に怒りを覚えた野球ファンは多数「伊良部秀輝」の散り際とは?
この記事では伊良部秀輝の晩年と散り際について解説します。
「伊良部秀輝」とは?簡単に説明
日本最速記録ピッチャー、剛速球投手、日本人初の『ニューヨークヤンキース』入団選手という華々しい経歴を持ちます。
その一方で暴言、暴力、セルフイッシュ、自己管理できないなどマイナスイメージも多々あるのは否めないところでしょう。
よくもわるくも天真爛漫だったというのが彼の生前を知る人達の評価でした。
「伊良部秀輝」の晩年
阪神タイガースを退団移行はアメリカに渡り、高校時代の友人とともにうどん屋を開業。
これが当たったのは当時のマスコミでも大きく報道されています。
その後野球への情熱を捨てきれず、05年の引退時の怪我が癒えたことで米国と日本の独立リーグに参加。
しかし満足に結果を残すことはできませんでした。
「伊良部秀輝」の死に様
2011年7月27日16時にロサンゼルスの自宅で首を吊って亡くなっているのが発見されました。
42歳没。
死因は心不全によるもの。
妻子との別居、事業の失敗などが理由として大きく報道されますが、詳細がわかればわかるほど、伊良部氏が追い詰められたことがわかるでしょう。
また亡くなって以降の遺骨の行方、そして通常では考えられない“お別れの会”に球界関係者はもとより野球ファンが憤慨する事案となりました。
「伊良部秀輝」の死に様の信憑性
自殺の原因は事業が失敗したことを理由にした記事も多いですが、05年9月にオープンした『SUPER UDON』は人気店で黒字でした。
07年には土地のリース契約が切れたことで事業を畳むことになり、信憑性は低いように思われます。
家族との不仲、離婚に関しても代理人を務めた「団野村」氏が夫婦仲は円満だったと否定的です。
しかし伊良部氏の遺骨が無縁仏になった経緯は野球ファンには有名でしょう。
ロサンゼルスの自宅に置かれた献花はゴミ箱に捨てられた、自殺した家だとわかって迷惑などの関係者証言は信憑性は低いかもしれません。
ただし当初リトル東京の東本願寺別院に納骨して欲しいとの遺言は果たされず、千葉の寺院で無縁仏になっていることが大きく取り沙汰されることになりました。
また伊良部氏の実姉、妹が葬式に入れず、遺体の顔すら拝めなかったなど醜聞は大きく扱われることになります。
その一方で亡くなる前の伊良部氏の生活は朝5~6時に起きて、メールチェックやYouTubeで日本のテレビを見るだけの何もない引きこもり生活だったことも明らかになりました。
自身の生活を自嘲し、ミッドライフクライシスと自身で語っていた通り、精神的に不安定だったのは間違いないでしょう。
まとめ
「伊良部秀輝」氏は2011年7月27日16時にロサンゼルスの自宅で首を吊っているのが発見されました。
死後数日が経過しており、近所の住民が最後に姿を見たのが7月22日との証言がありました。
それからずっと郵便物が溜まっており、異変を感じていたとも言われます。
42歳没。
死因は首吊りによる心不全。
ミッドライフクライシスならびに自身の生活がなにもないと自嘲するほど精神状態は良くなかったようです。
死後、希望したリトル東京の東本願寺別院に遺骨は納められず、日本で無縁仏化。
葬式の際の実姉妹と夫人とのいざこざから、夫婦関係でも何らかの悩みがあったと推測されます。