この記事では、「谷啓」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「谷啓」とは?
「谷啓」とはコミックバンドのクレージーキャッツのメンバーの1人で、スーダラ節が大ヒットしました。
多彩なギャグで人気を博し、「ガチョーン」等の流行語も生まれています。
コメディアンとして様々なバラエティ番組に出演しました。
また、俳優としても活動しており、1975年には森繁久彌主演のミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」にも出演しています。
映画「釣りバカ日誌」シリーズでは主人公の上司役を演じ、脇役として確かな演技力を発揮しました。
「谷啓」の晩年
「谷啓」は晩年、バラエティ番組に出演することは少なくなっていました。
2006年からはNHKの教育テレビで放送された「美の壺」で案内役を務めています。
美術評論番組で、古伊万里や盆栽などの美術品を毎回紹介する番組でした。
「谷啓」は旧家の主人に扮していました。
また、2009年には「釣りバカ日誌」シリーズの最終作である「釣りバカ日誌20ファイナル」に出演しています。
しかし、2008年頃から体調を崩し、療養生活を送るようになります。
2009年には全ての番組を降板しました。
晩年は認知症の症状が出ていたといいます。
「谷啓」の死に様
「谷啓」は2010年9月に亡くなりました。
自宅の階段で誤って転倒し、頭を打って亡くなったのです。
救急車が呼ばれ病院に搬送されましたが、治療のかいなく亡くなります。
死因は脳挫傷でした。
享年78です。
「谷啓」の死に様の信憑性
「谷啓」が亡くなったのは、三鷹市にある自宅です。
階段を上ろうとしたところ躓いて転倒し、階段に顔面を強打しました。
大きな音がしたためすぐに家族が駆け付け、救急車を呼んだといいます。
搬送された病院で、家族に見守られながら亡くなりました。
晩年は認知症の症状がひどくなっていて、友人であるなべおさみに会ってもなべおさみのことが分からなかったといいます。
自宅から外に出てしまい、フラフラとさまようように歩いているところを近所の人が見かけたという話もあります。
認知症は認知障害の一種で、人によってその症状は様々です。
物忘れがひどくなったり、徘徊するなど日常生活に支障が出ることもあります。
まとめ
「谷啓」は晩年も美術評論番組で案内役を務めたり、映画に出演したりしていました。
しかし、認知症を患い療養生活を送るようになります。
自宅の階段で転倒して頭を打ち、脳挫傷で亡くなっています。
78歳でした。