「大滝秀治(おおたきひでじ)」とは?
大滝秀治の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「大滝秀治」とは?簡単に説明
大滝秀治は日本の俳優、ナレーターで、劇団民芸に所属し、宇野重吉亡き後は奈良岡朋子とともに代表を担う実業家でもありました。
遅咲きの俳優ですが、45歳の時にブレイクしてからは息の長い名優の一人としてテレビドラマ、映画、舞台など幅広い活躍をしています。
「大滝秀治」の晩年
大滝秀治は2011年暮れから体調不良を訴えており、2012年2月27日に肺がんを告知されます。
主治医からの告知には冷静な大滝でしたが、手術や放射線治療に関しては断固拒否します。
身体に大きなダメージを受け、役者復帰に支障が出るのでという理由からでした。
そして民芸の6月公演「うしろ姿のしぐれてゆくか」を降板して抗がん剤治療に専念します。
回復の兆しが見えてきた6月末には間質性肺炎を併発し、一時都内の病院に入院します。
しかし、その後は病状も安定して9月7日には退院となりました。
大滝は30歳の時に左肺を切除しており、残った右肺がんに冒されたので、苦しさは相当だったでしょうとある知人も語っています。
しかし、そんな中でも復帰を信じ、舞台台本を病室に持ち込んで暇さえあれば見ていたようです。
「大滝秀治」の死に様
病状が安定し、2012年9月7日には退院して自宅で療養を続けます。
しかし、以前は60kgあった体重がこの時は42kgまで落ちていて、痩せ衰えていたそうです。
それでも入院中に依頼があったドラマ出演のオファーを受けようと無理してカツ丼やステーキを食べていたようです。
ここにも大滝の復帰に対する執念のようなものを感じます。
亡くなる前日の10月1日の夜も食欲があり、シュウマイと日本酒を飲んで就寝しますが、夜中に呼吸が荒くなります。
在宅医が駆けつけて一時的に回復しますが、2012年10月2日午後に容体が急変し、午後3時17分、肺扁平上皮がんのため、東京都内の自宅で亡くなりました。
享年87歳でした。
「大滝秀治」の死に様の信憑性
大滝秀治が亡くなったのは自宅ですが、自宅には在宅医もおり、急な事態にも対処しています。
また、亡くなる際に、妻の純子夫人と2人の娘に看取られていますので、死に様の信憑性は高いと言えます。
なお、長女の夫の話だと大滝は「大きく2、3回息を吸って静かに息を引き取りました」と亡くなる様子を話しています。
まとめ
名脇役としてテレビ、映画、舞台などで味のある、いぶし銀の演技を見せてくれた俳優・大滝秀治は2012年10月2日、肺扁平(へんぺい)上皮がんのため、87歳で死去しています。