「若山富三郎」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「若山富三郎」の死に際とは?日本の人物

弟への情愛が仇になった?

若山富三郎の散り際とは?

この記事では「若山富三郎」の晩年と散り際を解説していきます。

「若山富三郎」とは?簡単に説明

日本映画界黄金時代には移籍を繰り返して、干されることもあったもの70年代に入るとその地位を確かなものにし、第一線で活躍したのが「若山富三郎」だと言っていいでしょう。

弟は「勝新太郎」であり、俳優としては玉昆金友。

「勝」氏が80年代以降プロダクション倒産や麻薬で逮捕されるなど多難な晩年だったのとは対照的に仕事面では順調そのものでした。

「柳生宗矩」を演じた『魔界転生』「松田優作」の遺作『ブラック・レイン』では彼の元親分ヤクザの首領を演じています。

しかし私生活では弟同様に多難な晩年となりました。



「若山富三郎」の晩年

ドラマや映画はもとより『夜の指定席~富三郎の談話室』でトーク番組の進行役を務め、時にはバラエティ番組にも顔を見せており、仕事は順調そのものだったと言えるでしょう。

しかし病が若山氏の身体を蝕んでいくことになりました。



「若山富三郎」の死に様

1990年1月に弟がハワイで麻薬所持で現行犯逮捕。

当然ながら日本でも逮捕され、判決の出たのは1992年の3月末のことでした。

判決前は実刑と見られていたものの執行猶予どまりだったことを涙を流して喜んだと言います。

改めて弟その妻の「中村玉緒」氏、ドッキリ番組で自身の嫁役を務めた旧知の「清川虹子」氏を京都の自宅に呼び、食事会を催します。

食事会はおおいに盛り上がり、慣例である食後の麻雀の準備中に突然隣に座っていた「清川」氏の胸へ崩れ落ちました。

意識はなく、チアノーゼも発現。

緊急搬送、京大病院で蘇生処置を受けたもの同日18時25分、帰らぬ人となりました。

62歳没。

死因は急性心不全と言われています。

「若山富三郎」の死に様の信憑性

当日は弟の執行猶予も決まった後で上機嫌のまま食事会は盛り上がり、倒れた時は現場にいたマネージャーも含め、全員が冗談だと思っていたほど、前兆はありませんでした。

しかし下地はあり、若山氏は1984年に心筋梗塞を患い、大手術をしています。

その後も喫煙、糖尿病であるにも関わらず食生活の改善、甘いものが断ち切れませんでした。

亡くなる2年前には心臓病の悪化と腎臓障害で余命宣告を受けています。

しかしこの宣告は当人には知らされることはありませんでした。

喫煙、食生活の改善ができれば三~四年は生きられるかもしれない、現状の生活を続ければ半年もたないという内容で90年年末時点で容態はかなり重いものだったと言えるでしょう。

人工透析を週3回、亡くなる2カ月前にはペースメーカー、常にニトログリセリンを携帯するなど、いつ爆弾が爆発してもおかしくない状態だったのは間違いありません。

まとめ

1992年4月2日18時25分に京都大学病院で「若山富三郎」はその生涯を終えています。

62歳没。

可愛がっていた弟の判決に執行猶予についたことを喜び、弟夫妻と旧知の友人を自宅に招いて食事を終えた後のひと時に突然倒れたと言います。

意識はなく、チアノーゼもはじまり、救急車内で心肺停止状態。

死因は急性心不全でした。

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