「菅原文太(すがわらぶんた)」とは?
菅原文太の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「菅原文太」とは?簡単に説明
菅原文太は映画「仁義なき戦い」に代表されるようにヤクザ役がはまり役の日本を代表する俳優の一人です。
「仁義なき戦い」はその後全8作製作され、菅原は全作品に出演しています。
また、代表作の一つ「トラック野郎」シリーズも大ヒットしています。
菅原は映画だけでなく、NHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演するなど、数多くのテレビドラマにも出演しています。
1998年以降は岐阜県や山梨県に移住し、農業政策などに関心を示していました。
「菅原文太」の晩年
1980年代頃から都会化した東京が嫌になり始めます。
岐阜県に別荘を持っていた関係で、1998年に岐阜県に移住します。
その後も2001年に長男の加織を鉄道の踏切事故で亡くし、2007年には自身に膀胱がんが発見されます。
そのためでもあったのか、菅原文太の晩年は芸能活動を減らして、2010年からは山梨県に移り住み農業生産法人「竜土自然農園おひさまの里」を設立して無農薬野菜を作りながら隠居生活に入りました。
そして、2012年にアニメ映画の「おおかみこどもの雨と雪」で声優の仕事をしたのを最後に正式に芸能界を引退しています。
引退を決意した大きなきっかけは東日本大震災だったそうです。
震災以後、映画の存在意義が見いだせなくなったと言います。
「菅原文太」の死に様
菅原文太は2014年11月13日に定期検診のために病院に行き、そのまま入院することになります。
そして同月28日午前3時に転移性肝がんによる肝不全のため東京都内の病院で亡くなりました。
81歳(享年82)でした。
菅原の入院中に、同じくヤクザ映画で東映仁侠映画の立役者だった高倉健が同年11月10日に亡くなっていたことを知り、「東映、映画のことは時間をおいて自分で書きます」と伝えていましたが、菅原自身の死去によりかなわぬこととなっています。
「菅原文太」の死に様の信憑性
菅原文太の死因である「転移性肝がんによる肝不全」とは、他の臓器のがんが肝臓に転移して占拠率が増加し、正常な肝臓の機能がなくなる病態です。
菅原は2007年に膀胱がんが発見され闘病生活を送っていますが、この膀胱がんからの転移の可能性もあります。
いずれにせよ、病院での死去によるもので死に様の信憑性は高いと言えます。
まとめ
菅原文太ほか名だたる俳優が勢ぞろいした「仁義なき戦い」の最初の全5作は思わず一気に見てしまうほど強烈で興奮する作品でした。
そんなヤクザ映画で名を成したスター俳優たちが次々と亡くなっており、寂しい限りです。