人気ラーメン店の支那そばやを創業し「ラーメンの鬼」という異名で親しまれていた佐野実は63歳で亡くなっています。
今回はその死因について解説していきます。
「佐野実」とは?簡単に説明
昭和26年に神奈川県横浜市で生まれた佐野実は、料理人や実業家として知られる人物で、人気ラーメン店「支那そばや」の創業者でもあります。
ラーメンに対して頑なにこだわる姿勢や頑固な物言いなどにより「ラーメンの鬼」という異名が付けられた佐野は、中学生の頃からラーメンを作って家族にふるまうなど、子供のころからラーメンが大好きだったそうです。
高校卒業後に不二家レストランに就職した佐野は、15年ほど洋食業界で務めた後、昭和61年に念願のラーメン店「支那そばや」を開業します。
その後、平成10年代に人気テレビ番組「ガチンコ」のラーメン企画コーナーでラーメン職人を育成するプロジェクトがヒットしたことで佐野の人気は不動のものとなりますが、平成26年4月11日、多臓器不全により63歳で死亡しています。
「佐野実」の死に様
平成26年4月11日、佐野実は入院していた川崎市内の病院にて多臓器不全により死去しています。
平成18年ごろに患った糖尿病が平成23年あたりから徐々に悪化し始め、急激に佐野の体調を蝕んでいきます。
通院しながら療養生活を送っていた佐野でしたが、全身の痛みに耐えることが難しくなってきたため、再度入院することになります。
入院中は激しい痛みに加えて、高熱にも侵されるようになったため、度々酸素マスクを装着して集中治療室で治療を行っていました。
日々、苛烈な痛みとの闘いを続けていた佐野でしたが、2か月間の闘病生活の果てに多臓器不全により63歳で永眠しています。
亡くなる1週間前には自身のビジネスパートナーが病室で作ったラーメンを食べ、「薄くて不味い」と言いながらもしっかりと完食したと言います。
「佐野実」の死に様の信憑性
平成23年ごろから持病だった糖尿病が悪化し始めたため、佐野実は通院しながら治療を開始しますが、3年ほど経過すると激しい痛みと高熱に侵されるようになっていきます。
即入院し療養生活に入った佐野でしたが、なかなか体調の悪化を止めることは叶わず、酸素マスクを装着して集中治療室での懸命な治療が続いていきます。
妻や娘は付き添いを楽にするため、佐野が入院している病院のすぐ近くにマンスリーマンションを借りて看病を続けますが、そのまま佐野の体調が回復することはありませんでした。
入院中の病室においても常に自身のラーメン店や店で配膳しているラーメンの出来の事を気にしていた佐野は、病室でもラーメンを食べたいと懇願したため関係者が作って食べさせると衰弱した身体ながらもどうにか完食したそうです。
しかしながら、その1週間後には多臓器不全を発症したことにより死亡しています。
「佐野実」の小ネタ等
ラーメンに対するこだわりが人一倍強かった佐野実のラーメン店「支那そばや」では、香水の香りが強い人を入店禁止にしたり、店内での私語や喫煙、携帯電話の使用などを禁止したりするだけではなく、ベビーカーを伴って入店することさえも禁止されていました。
まとめ
人気ラーメン店「支那そばや」を創業した「ラーメンの鬼」こと佐野実は63歳で永眠しています。
素材や味などに頑なにこだわったそのラーメン道は、現在でも数多くのラーメン店に引き継がれていることでしょう。