「米倉斉加年」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「米倉斉加年」の死に際とは?日本の人物

「米倉斉加年(よねくらまさかね)」とは?

米倉斉加年の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「米倉斉加年」とは?簡単に説明

米倉斉加年は舞台を中心に広く活躍した俳優、演出家で、絵本作家としても知られています。

1957年に劇団民藝の演劇研究所に入り、一時退団するも2000年まで同劇団の中心俳優として「ゴドーを待ちながら」などで宇野重吉の相手役などを務めるなど活躍します。

NHK大河ドラマにも数多く出演し、「風と雲と虹と」での興世王役や「花神」での桂小五郎役は当たり役で、独自の人物像を構築した演技で存在感を示しました。

絵本作家としても有名で、「魔法おしえます」(1976年)「多毛留」(1977年)で、ボローニャ国際児童図書展のグラフィック大賞を2年連続で受賞しています。



「米倉斉加年」の晩年

米倉斉加年は晩年まで仕事を続けており、所属事務所の話でも特に持病は無く、元気だったそうで、周りの人は皆、突然の出来事に驚いたようです。

最晩年のテレビの仕事としては2014年4月から6月に放送されたドラマ「サイレント・プア」に出演し、これがテレビドラマの遺作となっています。

また、2014年10月11日に公開予定だった吉永小百合主演の映画「ふしぎな岬の物語」で演じたカフェの常連客である医師役が遺作となりました。



「米倉斉加年」の死に様

2014年8月26日、米倉斉加年は妻のテルミとともに知人の結婚式に出席するために故郷・福岡を訪れ、滞在していた福岡市内のホテルで午後5時頃急に腹痛を訴え、同市内の病院に緊急搬送されますが、同日午後9時33分、息を引き取りました。

死因は腹部大動脈瘤破裂でした。

腹部大動脈瘤とはお腹にある大動脈が瘤のように膨らんでくる病気で、この瘤は症状がないまま気が付かないうちに大きくなり、ある日突然破裂して死の原因となる病気です。

享年80歳でした。

「米倉斉加年」の死に様の信憑性

米倉斉加年はホテルで突然倒れ、緊急搬送された病院で死去していることから、死に様には特に疑う余地はなく、信憑性は高いと思います。

この死因となった病気は上述した通り、症状が全くなく、日常生活を送っている中では気づきようがない病気で、唯一の対策は早期発見することです。

日頃元気で持病もなかった米倉はそれが仇となって定期的な検査などをしていなかった可能性があります。

早期発見できていれば、もしかしたら助かっていたかもしれません。

まとめ

大河ドラマの「風と雲と虹と」「花神」はともに見ましたが、見事な演技で独特の人物像を描き出していた怪優で深く印象に残る俳優さんだったように記憶しています。

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