「林芙美子(はやしふみこ)」とは?
林芙美子の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「林芙美子」とは?簡単に説明
林芙美子は昭和前半期に活躍した女流作家で、『放浪記』や『浮雲』の作者として有名です。
山口県に生まれ、思春期を広島県尾道市で過ごし、この町で文才を開花させます。
自伝的作品である『放浪記』の奔放なイメージがある芙美子ですが、成功者としての地位を守るためにライバルには激しく強く主張し自己中心に生きたので、周りから誹謗中傷の多い作家でもありました。
代表作『放浪記』は舞台化され、女優・森光子さんが半世紀近く演じられました。
「林芙美子」の晩年
晩年の芙美子は新宿区下落合に買った土地に建てた新居で暮らしています。
そこで、売れっ子作家になるまでさまざまな職業を転々としたため、晩年は作家として活動できるありがたみを痛切に感じていました。
それゆえ持病の心臓弁膜症が悪化し、自宅の前の坂道は誰かに手を引いてもらいながらでないとうまく歩けなかったにもかかわらず、どんな仕事も断らず受けていました。
いつも家族が寝静まった22時頃から執筆活動を始め、明け方の4時に就寝するのが日課でした。
朝は7時に起床して皆と朝ごはんを食べ、家事をこなし、人と会い、作家としてまた机へ向かうという生活を続けるのでした。
「林芙美子」の死に様
林芙美子は1951年(昭和26年)6月28日に急逝します。
前日の27日夜分、『主婦の友』の連載記事である“私の食べあるき”の取材のために銀座の「いわしや」へ行った後、深川の「みやがわ」へ立ち寄って自宅には23時頃に帰宅します。
この取材は芙美子の身体を心配する医者の制止を振り切って強行されたものです。
その後家族との団欒を楽しんで床に就きますが、まもなく突然苦悶し始めて、日付の変わった6月28日木曜日午前1時頃、息を引き取ります。
死因は心臓麻痺で、彼女のあまりの多忙さから世間の人は「彼女はジャーナリズムによって殺された」と言ったそうです。
享年47歳。
毎日新聞に連載中だった『めし』は絶筆となってしまいました。
「林芙美子」の死に様の信憑性
亡くなった時は「中央公論」「婦人公論」「主婦の友」に4本の連載と、その合間に短編、随筆、紀行文などを何本も書いており、『めし』の連載はそんな超多忙を極める中に始まったものでした。
若いころから心臓弁膜症を患っていましたが、仕事で無理していたことにより症状は悪化していました。
また、芙美子はかなりのヘビースモーカーだったため、心臓に余計な負担がかかっていたものと思われ、さらに濃いコーヒーとお酒もよく飲んでいたことからストレスが相当溜まっており、嗜好品に依存しやすい体質となっていた可能性があります。
まとめ
仕事で見せる顔と家庭の中で見せる顔が180度異なる林芙美子ですが、作家としても妻及び母としても純粋に正直に生きた女性だったように思います。