「水木一郎」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「水木一郎」の死に際とは?日本の人物

「アニメソング界の帝王」と称された歌手の水木一郎は、2022年12月6日に肺がんのために亡くなっています。

今回はその死因について解説していきます。

「水木一郎」とは?簡単に説明

昭和23年に東京都世田谷区で生まれた水木一郎こと早川俊夫は、歌手や声優として活躍していた人物で、アニメソング界の帝王と呼ばれていました。

3年間に渡ってNHKの人気番組「おかあさんといっしょ」の2代目うたのおにいさんを務めた水木は、番組の中では「アニキ」と呼ばれ、多くの子供たちから親しまれていました。

昭和40年代には「マジンガーZ」「バビル2世」「がんばれ!!ロボコン」などの人気テレビ番組の主題歌を次々に歌いあげ、アニメソング歌手としての地位を不動のものとしていった水木は、この時期に「アニメソング界の帝王」と称されるようになります。

その後もアニメソングを中心に活躍を続けますが、2022年12月6日、肺がんにより74歳で死亡しています。



「水木一郎」の死に様

声帯不全麻痺の症状をきっかけにして診察を受けた水木一郎は、リンパ節転移と脳転移を伴う肺がんを罹患していることが発覚し、その事実を自身のツイッターで公表します。

がんが発覚してからは入退院を繰り返しながら、放射線治療や薬物療法を行っていましたが、1年7か月にもおよぶ闘病生活を経て、74歳で永眠しています。

水木は最期まで「生涯現役」を目標に闘病生活を送っていたものの、発見された肺がんは発見時にすでにステージ4だったこともあり、脳転移やリンパ節転移に加えて髄膜播種を併発させてしまったことからそのまま帰らぬ人となりました。



「水木一郎」の死に様の信憑性

令和3年4月に自身のツイッターにて、声帯不全麻痺の症状が出ていると公表した水木一郎は、精密検査の結果、リンパ節や脳へがんの転移を伴うステージ4の肺がんに罹患していることが発覚してしまいます。

診断後、すぐに開始した放射線や抗がん剤による治療が一旦は功を奏し、体調は安定し始めたものの、翌2022年には別の肺がんが発見されてしまいます。

しかしながら「生涯現役」を目標に掲げた水木は闘病生活を送りながらも、シンガーとしての活動を続けていきます。

手術により一旦は発声することができなくなっていたにも関わらず、懸命のリハビリと類まれなる精神力により、車いすに座ったまま客前で熱唱するほど回復していた水木でしたが、最後はがんに打ち克つことが叶わず74年の生涯に幕を閉じています。

「水木一郎」の小ネタ等

かつてはザ・ドリフターズの付き人を務めたこともある水木一郎の座右の銘は、自身が16歳だったころにドリフターズのリーダーいかりや長介から言われた「頑張りなさい」だったと後年語っています。

まとめ

2022年12月6日に亡くなったばかりの水木一郎の死因は肺がんでした。

病気を公表してからも、最期まで「生涯現役」として精力的に活動されていた一流の職業人ともいえる人物でした。

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