いいか、寅、てめぇに中小企業の社長の苦労がわかるか!「太宰久雄」の死に際とは?
この記事では太宰久雄の晩年と死に際について解説していきます。
「太宰久雄」とは?簡単に説明
『男はつらいよ』のタコ社長として、毎回やいのやいの車寅次郎の「渥美清」氏と掛け合うシーンは盆、正月の風物詩だったと言っていいでしょう。
また「山田洋次」監督作品でもバイプレーヤーとして多く出演しています。
映画が有名ですが、『男はつらいよ』を見たことがない当時の若年層でも、太宰氏はホームドラマのレギュラーとして多々出演しているため、名前は知らなくても顔は解る方は多いと思われます。
「太宰久雄」の晩年
1987年前後から酒の飲みすぎによる糖尿病を発症。
体調は悪化していたと言います。
俳優業を引退する事を考慮に入れながらも、山田監督に引き留められる形で俳優業を続けていたそうです。
実際テレビドラマのレギュラーは84年フジテレビで放送された『青い瞳の聖ライフ』が最後であり、ほぼライフワークとも言える男はつらいよシリーズへの出演だけに絞っていた状態でした。
しかし体調が芳しくなく同作でも出演シーンは減っていく事になりました。
実際にVODで確認するとわかりますが、糖尿病の進行によって外見が痩せていったのは否めないところでしょう。
その痩せ方を太宰氏自身が自嘲、ネタにするほどで気にしていたのは間違いありません。
「太宰久雄」の死に様
1998年11月20日、東京都文京区の東京大学医学部附属病院で永眠。
74歳没。
死因は胃癌によるものでした。
「太宰久雄」の死に様の信憑性
10年来に渡り糖尿病の治療を受けていたもの、1996年7月に症状の進行から三大合併症の1つである糖尿病網膜症の疑いから検査を受けました。
そこで胃癌が発覚しています。
即座に入院治療を受けるも入院直後に盟友であった寅さん役の渥美氏が逝去。
「寅さんとのお別れの会」以降は親しい間柄の関係者との面会も絶っていたそうです。
このため闘病生活についてはほとんど語られていません。
それもあってか夫人に宛てた葬式、弔問無用、生きている人間は死者に煩われるべきではないと記した遺言状がクローズアップ。
生前の太宰氏の意向に反して、大きく取り上げられる事になっています。
まとめ
1998年11月20日、東京都文京区の東京大学医学部附属病院で死去。
74歳没。
死因は胃癌によるものでした。
糖尿病の進行が著しく、1996年7月の段階で糖尿病三大合併症の1つである糖尿病網膜症を発症していた可能性がありました。
その時の検査で胃癌が発覚する事になりました。
翌月に盟友の渥美氏が亡くなると面会等を拒絶。
山田監督の見舞いも断っており、誰にも会わずに最期の刻まで過ごしたそうです。
このため最晩年の約2年についてはほとんど様子が解っていません。