「竜崎勝(りゅうざきかつ)」とは?
竜崎勝の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「竜崎勝」とは?簡単に説明
竜崎勝は大学在学中に日活ニューフェイスに合格し、その後、劇団俳優座養成所に入所しています。
同期には夏八木勲、原田芳雄、林隆三、地井武男など「花の15期生」と呼ばれたそうそうたるメンバーがいました。
さらに文学座の研究生となるも劇団員にはなれず退団します。
しかし退団後も悪役を中心に映画やドラマで活躍し、1969年には「絢爛たる復讐」の主役に抜擢されています。
それまでは本名である高島史旭を芸名にしていましたが、これを機に竜崎勝に改名します。
また、「くいしん坊!万才」の2代目リポーターとしても活躍を見せています。
「竜崎勝」の晩年
竜崎勝は若くして亡くなるため、俳優としての活動期間は23年ほどですが、数多くの映画やドラマに出演していることから名バイプレイヤーとしての実力と信頼を持っていたことが証明されます。
私生活の方は一男一女に恵まれ、長男は元俳優の高島郷、長女は「アヤパン」の愛称で人気のあった元フジテレビのアナウンサーで現在フリーアナウンサーの高島彩です。
ただし、竜崎は44歳で亡くなりますが、そのとき高島彩はまだ5歳だったため、ほとんど父親の記憶はないそうです。
「竜崎勝」の死に様
竜崎は1970年代後半に胃潰瘍になります。
この時は一時回復するも1984年11月から体調不良に陥り、病院に通院しながらの撮影を余儀なくされます。
その後、容体が急変し、1984年12月18日午前1時、現在の国立病院機構東京医療センター(当時は国立東京第二病院)で肝硬変のため亡くなります。
44歳という若さでした。
「竜崎勝」の死に様の信憑性
肝硬変になると胃潰瘍ができやすいということらしいので、晩年の竜崎の胃潰瘍も何か死因の肝硬変と関係があったのかもしれません。
亡くなった12月18日は奇しくも竜崎の遺作となった「転校少女Y」の放送日だったことから、放送の最後に追悼のテロップが流れています。
この作品の中で竜崎は主人公の父親役を演じていますが、この父親が作品の中で胃がんによって死去するシーンの放送日の未明に竜崎が本当に亡くなるのです。
信憑性とは全く関係ありませんが、何とも奇妙な運命の重なりを感じます。
まとめ
竜崎勝は法大在学中に日活ニューフェイスに合格し、同期に高橋英樹がいたといいます。
竜崎の娘は元フジテレビのアナウンサー高島彩ですが、高橋英樹の娘の高橋真麻も同じフジテレビのアナウンサーになっています。
学年は高島彩の方が3学年上で、フジテレビ入社も3年先輩となりますが、高島彩は先輩として高橋真麻をとても気にかけていたと言われており、何か不思議な因縁を感じます。