ブルドッグの歌詞の如く、にっちもさっちもどうにもいかなくなった晩年?
この記事では「北小次」の晩年と最期について解説します。
「北公次」とは?簡単に説明
かつてジャニーズ事務所に所属、1970年代は飛ぶ鳥を落とす勢いのアイドルグループ『フォーリーブス』のリーダーだったのが「北公次」です。
60代以上の方はこの認識の方が多いと思われます。
50代以下の方、フォーリーブスを知らない世代にとってはジャニーズ事務所の告発本を出した人という認識ではないでしょうか。
『光GENJI』『少年隊』全盛期に出されたこの1冊はマスメディアでは報道されなかったものの大きな反響を呼びました。
「北公次」の晩年
暴露本で儲けた利益は手元に残らず、何をやってもうまくいかないジレンマに苦しんでいたのは間違いないでしょう。
雑誌のインタビューで恩人である「ジャニー喜多川」氏を裏切った悔恨を話したかと思えば、新たな暴露本の出版先を探すなど相反した言葉をインタビューで話しています。
2002年には『フォーリーブス』を再結成、脚光を浴びますが『フォーリーブス』で活動していた事務所をやめ、個人事務所を起ち上げソロ活動をメインに移行するも決して順風満帆とは言えませんでした。
「北公次」の死に様
2012年2月22日午前1時19分に他界しています。
63歳没。
死因は肝臓がんによるものでした。
09年に他界した『フォーリーブス』のメンバー「青山孝史」氏と奇しくも同じ病気でした。
「北公次」の死に様の信憑性
肝臓癌で重病であるニュースが飛びこんできたのは2012年2月4日のことでした。
夫人が北氏の病気を明かし、治療のためのカンパを募ったことがキッカケです。
ソロ活動により疎遠になっていた「江木俊夫」氏と「おりも政夫」氏が呼応。
ブログ記事で重い病と書いたことでその信憑性も高まったと言えるでしょう。
没後は絵に描いたような転落人生、寂しい晩年を夕刊紙や週刊誌が取り上げており、内容がほとんど共通しているため、晩年の厳しい生活についても信憑性は高いものと思われます。
その反面闘病生活について語られた記事はありませんでした。
ブログも無くなって今は見ることができませんが、2月21日付けでファンへ向けての言葉が書かれています。
それに加えて「最後にどうしても言わせてもらえるならジャニーさん、メリーさん、ありがとうございました 感謝しています」と色々あったもの大恩ある2人に感謝の気持ちが伝えられていました。
まとめ
「北公次」は2012年2月22日午前1時9分に永眠しています。
死因は肝臓がんによるものでした。
夫人から病気が公表されてから、わずか二週間での急逝となりました。
63歳没。
肝臓を悪くしたのは79年の覚醒剤所持による逮捕直後の時期だという証言があります。
75年~79年までの4年間の薬物濫用や鎮咳剤の濫用などで薬物性肝炎を発症し、肝硬変から死因となった肝臓がんへと繋がったと推測されます。