2000年代の巨人戦ナイター実況と言えばこの人!この記事では「河村亮」の晩年と最期について解説します。
「河村亮」とは?簡単に説明
現在とは違い野球のナイター中継が週に5回はゴールデンタイムで放送されていた時代、東京ドームの巨人戦中継の実況と言えば「河村亮」氏の名前を挙げる方が多いでしょう。
日本テレビの先輩である「小川光明」「吉田填一郎」両氏が80、90年代を代表する巨人戦の名実況とするならば、その跡を継いだのが河村氏になります。
ホームラン時の「バット一閃」など名フレーズを幾つも残しています。
巨人戦以外では日本テレビの看板番組である正月の箱根駅伝での実況やバラエティでもその姿を見せています。
「河村亮」の晩年
2019年に日本テレビ編成局アナウンス部においてアナウンス部専門部長に昇格しています。
地上波で巨人戦の中継が激減したため、出演が減った印象を持たれるもの実況活動をセーブしていたというわけではありません。
CSスポーツ専門チャンネル『G+』では実況、ヒーローインタビュー、ベンチレポーターとして活躍しています。
その一方でここ数年は体調不良から入退院を繰り返していました。
「河村亮」の死に様
驚きの一報は2022年の5月16日のことでした。
同年5月14日に河村氏が亡くなっていたことが、日本テレビから発表されています。
54歳没。
死因は脳出血によるものでした。
「河村亮」の死に様の信憑性
日本テレビの発表によると最後の出演はラジオ日本の『日テレアナ・ザ・ワールド!』で3月19日。
4月には体調の悪さが露見する形になりました。
4月月初の巨人戦の担当を降板。
その理由は耳鳴りが一晩中鳴り続いて一睡もできず、連絡している現在もそれが続いている状態だったと言います。
また巨人の「原辰徳」が河村氏を悼む言葉で4月頭にドームで見かけた時は顔つきが別人のようだったとも明かしています。
それから二週間後に入院加療。
没後に以前から肝臓が悪かったと明らかにされている一方、1ヶ月前に倒れて入院したとプロ野球関係者からの証言がありました。
病状や闘病生活については公表がされていないため、肝臓と死因である脳出血の因果関係は不明です。
ただし気になるのは4月初めの耳鳴り。
これは脳卒中や脳動脈瘤が原因となって起こることも多々あり、死因の脳出血に繋がるとも言えるでしょう。
まとめ
河村亮は2022年5月14日に脳出血によって永眠しています。
54歳でした。
亡くなる1ヶ月前に倒れて入院。
退院することはできませんでした。
倒れる二週間前に一晩中眠れないほどの耳鳴りに一昼夜悩まされたこと、顔つきが別人のようだったことが、河村氏を悼む言葉で明かされています。
これらは脳卒中の前症状として知られているため、4月初めには何らかの異変があったと推測していいでしょう。
入院、闘病生活については公表されていないため、詳細は不明の部分も多いのが現状です。