天才漫才コンビと評されていたベイブルースの河本栄得(かわもと えいとく)は、25歳という若さで急逝しています。
今回はその死因について解説していきます。
「河本栄得(ベイブルース)」とは?簡単に説明
昭和43年に大阪府大阪市で生まれた河本栄得(かわもとえいとく)は、吉本興業に所属している人気漫才コンビ「ベイブルース」の一員でした。
昭和63年に高校の同級生だった高山トモヒロと共に「河本・高山」という漫才コンビを結成した後、コンビ名を「ベイブルース」と改名し、期待の若手として人気を博していきます。
関西のローカル放送を中心に少しずつ活躍の場を広げていたベイブルースは、次世代の「ダウンタウン」と称されるほどの若手有望株でしたが、河本は突然体調不良を訴え大阪の病院に緊急入院することになります。
入院後、劇症肝炎を発症したことにより脳出血を併発してしまった河本は、わずか25歳という若さで死去しています。
「河本栄得(ベイブルース)」の死に様
雨上がり決死隊や千原兄弟などと同期のベイブルースは、平成時代のお笑い業界をけん引していたと言っても過言ではなく、当時上方お笑い大賞などの数々の賞を総なめにしていました。
ベイブルースのボケを担当し、ネタ作りやリーダーとしての顔も持っていた河本は、相方の高山への熱心なネタ指導などが知られており、常にコンビを引っ張っていく存在だったと言います。
関西での人気を不動のものにしつつあったベイブルースは、近い将来、東京進出も視野に入れていましたが、河本はテレビのロケ撮影中に突然体調不良を訴え入院することになります。
入院からわずか2週間後、翌日には26才の誕生日を控えていた河本でしたが、劇症肝炎による脳出血で死去しています。
「河本栄得(ベイブルース)」の死に様の信憑性
飛ぶ鳥を落とす勢いだったお笑いコンビベイブルースの河本栄得は、当時テレビ番組の収録中に控室で、後輩の藤本敏史に対して「最近調子が悪くて、微熱が続いている」と漏らしていたそうです。
しかしながら、折角火がつきかけているコンビの勢いを止めるのが怖く、少々の体調不良は気にせずに以前と同じようなペースで仕事をつづけていました。
そんな最中、テレビ番組のトライアスロン企画に参加した河本は、レースは完走したものの、レース直後に突然体調不良に見舞われ、そのまま倒れて緊急入院することになります。
入院後まもなく、急性肝炎のなかでもとくに重症レベルの高い劇症肝炎を発症してしまい、脳出血を併発したことにより死亡しています。
「河本栄得(ベイブルース)」の小ネタ等
人気漫才コンビであるベイブルースの河本栄得が急逝した後、相方の高山トモヒロの手によって、彼らが共に歩んだ半生を映画化した「ベイブルース ~25歳と364日~」が公開されています。
2人の歩んできた道が明かされるこの映画では、生前の河本のプロ魂を堪能することができます。
まとめ
人気漫才コンビであるベイブルースの河本栄得は25歳という若さで永眠しています。
26歳の誕生日を迎える前日に生涯の幕を閉じた河本ですが、当時見せてくれた輝きは今でも色褪せてはいません。