「夏八木勲」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「夏八木勲」の死に際とは?日本の人物

「夏八木勲(なつやぎいさお)」とは?

夏八木勲の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「夏八木勲」とは?簡単に説明

名脇役として昭和・平成期の映画やドラマ合わせて300本以上に出演した俳優です。

慶応義塾大学在学中に文学座研究所に入所し、同期に黒柳徹子や江守徹などがいました。

慶大中退後は俳優座養成所に入所して、1966年(昭和41年)に映画「骨までしゃぶる」でデビューし、同年「牙狼之介」で早くも主演に抜擢されています。

1979年(昭和54年)には代表作である「白昼の死角」で主演の鶴岡七郎役を熱演しました。

自らの鍛錬に熱心で、それで意気投合した千葉真一とは生涯の親友となっています。



「夏八木勲」の晩年

夏八木勲は神奈川県鎌倉市をこよなく愛し、仕事に行くには遠くて不便にもかかわらず、30年以上も住んでいたそうです。

鎌倉の自宅は深緑色の洋風住宅で、夏八木が自らデザインしています。

また、鎌倉の「チームサムライ」という市民団体の名誉世話人として地元のまちづくりにも関わるなど、鎌倉に対する思い入れは相当だったようです。

俳優業を極めるため、身体の鍛錬に余念がなく、公私とともに順調だった夏八木ですが、2012年頃から体調を崩します。

そして11月に検査を受けるとすい臓がんが判明します。

ただ、手術はせずに化学療法での治療を選び、家族と親友の千葉真一以外にはこのことを伏せて仕事を続けていました。

その仕事に対する執念は尋常ではなく、治療しながらの仕事にもかかわらず、亡くなった年の2013年には出演映画が6本もあったそうです。



「夏八木勲」の死に様

夏八木勲は2013年(平成25年)5月11日午後3時22分、神奈川県鎌倉市内の自宅で妻と娘に看取られながら眠るように息を引き取りました。

死因はすい臓がんでした。

享年73歳。

ゴールデンウィーク中には都内の撮影所に衣装合わせに行くなど、いつもと変わらない様子で仕事をしていましたが、亡くなる2日前の5月9日に容体が急変し、腹部に強い痛みを訴えます。

いったん入院するも、本人の意思で自宅に戻ってから亡くなったそうです。

所属事務所の社長の話によると、「話しかけると返事をしてくれそうなほどに安らかな顔でした」とのことでした。

「夏八木勲」の死に様の信憑性

夏八木勲の死に様ですが、こよなく愛した鎌倉の自宅で、家族に看取られながら静かに亡くなるという、まさに夏八木勲が望んでいたと思える最期だったようで、死に様には疑いの余地のなく、信憑性は高いでしょう。

そのため、事務所社長もコメントにも頷けます。

まとめ

夏八木勲には2人の娘がいましたが、長女を2011年に乳がんで亡くしています。

しかし、その事実も周囲には知らせず、数日の休みを取っただけで、仕事には一切プライベートを持ち込まなかったようです。

まさに俳優業に徹した、俳優の中の俳優と言えるでしょう。

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