竹の子族からアイドルへ!この記事では「沖田浩之」の晩年と最期について解説します。
「沖田浩之」とは?簡単に説明
1980年代の東京・原宿で一大ムーブメントを起こした竹の子族。
そこから誕生したアイドルが「沖田浩之」だと言っていいでしょう。
デビュー曲の『E気持ち』は当時では刺激的な歌詞で話題となり、40万枚のヒット曲になっています。
当時のセールスは振るわなかったもののアニメ『キャプテン翼』のOP曲『燃えてヒーロー』はドイツ版などでカバーされるなど世界で認知される曲となりました。
一方でその一年後に歌手活動を休止。
俳優業に専念していくこととなりました。
「沖田浩之」の晩年
晩年は身内に不幸が続きます。
96年に父親が首つり自殺、97年には母親を癌で亡くしています。
そして実家の会社が傾くきっかけでもある兄は存命。
プライベートで悩みを抱えていくことになりました。
俳優業の仕事は多かったとは言えないものの「高橋克典」の出世作となったTBS系ドラマ『サラリーマン金太郎』では主人公と敵対する役柄を熱演しています。
またミュージカル出演も決まっており、仕事がないという訳ではありませんでした。
「沖田浩之」の死に様
1999年3月27日の午後のことでした。
夫人と子供が買い物で外出から川崎市の自宅へと帰宅。
そこで変わり果てた沖田氏の姿を発見することとなりました。
二階の寝室で首つり自殺を図っていたのでした。
緊急搬送中に心臓マッサージを受け、病院で蘇生措置も試みられましたが、死亡が確認されています。
36歳没。
「沖田浩之」の死に様の信憑性
沖田氏の自殺理由については2つの憶測が語られています。
1つは仕事が減り、思うように仕事ができず苦悩していたというもの。
もう1つは多額の借金があったと言われ、実家の会社を引き継いだ兄に連帯保証人にされていたというものでした。
前者は二枚目俳優が突き当たる現実的な悩みであり、30代半ば以降で自殺した俳優の多くで原因ではないかと囁かれるものでした。
後者に関しては事務所社長の「津川雅彦」氏が全面否定する一方で、事務所からのサポートで給与を余分に渡すこともあったことを認めています。
実兄も週刊誌に出た借金、抵当権については自分だけのものであることを主張。
8000万の借金自体はあったとされるものの、それを理由にして自殺したかは定かではないというのが現状です。
この沖田氏の兄も後年自殺してしまったため、真相は闇の中に消えてしまいました。
まとめ
沖田浩之は1999年3月27日の午後、家族が外出している時に自宅二階で首つり自殺で亡くなっています。
36歳没。
午前中には犬の散歩に出かけており、特段変わった様子はなかったとも言われています。
自殺した理由については明らかになっておらず、仕事が減って悩んでいたとも実兄の連帯保証人になり、8000万円の借金で悩んでいたとも。
両方の理由について肯定、否定する意見がそれぞれあり、本人の遺書もなかったため、自殺した理由は現在も不明のままです。
また祖父、父も自殺だったことから“血”家系によるものだと結論づけ記事をまとめていたマスコミも当時から複数ありました。
オカルトで信憑性はありませんが、沖田氏の実兄も自殺してしまったため、現在も根強くネット上で自殺理由の1つとして挙げられています。