この記事では、「松方幸次郎」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「松方幸次郎(まつかたこうじろう)」とは?簡単に説明
「松方幸次郎」は日本の実業家、政治家であり、川崎造船所(現川崎重工)の初代社長を務めた人物です。
第4代内閣総理大臣と第6代内閣総理大臣を務めた「松方正義」を父に持ち、弟は同じく実業家である「松方正雄」になります。
「東京大学予備門」(現東京大学)から、アメリカの「ラトガーズ大学」、「イェール大学」へ留学、法律博士号取得後、1896年(明治29年)に株式会社川崎造船所初代社長へ就任しました。
「松方幸次郎」率いる川崎造船所は日清戦争や日露戦争を経て、三菱造船に並ぶ軍艦造船会社として成長するのでした。
「松方幸次郎」の晩年と最期
第一次世界大戦の終結後、川崎造船所は大量の在庫を抱えた上、1927年に起きた金融恐慌がさらなる追い打ちをかけます。
かろうじて、川崎造船所の倒産は回避できたものの、不況下における積極経営強行の責任を取るかたちで、「松方幸次郎」は全会社の役員を辞任しました。
その後、1936年から衆議院議員を3期連続で務め、国民使節としても国際的に活躍しています。
戦後、大政翼賛会の推薦議員のために公職追放の処分を受け、追放中の1950年(昭和25年)に84歳でこの世を去りました。
「松方幸次郎」の死に様の信憑性
松方幸次郎の死因について詳細は不明となっています。
松方コレクション
「松方幸次郎」には日本における西洋美術館を創設させるという夢があり、ヨーロッパで絵画や彫刻、浮世絵を収集していました。
これら美術品のコレクションは「松方コレクション」と呼ばれ、西洋美術作品およそ3000点、浮世絵作品およそ8000点の計10000点以上のものが集められていたそうです。
このうち浮世絵のコレクションは、現在、東京国立博物館に所蔵され、西洋美術のコレクションは国立西洋美術館に所蔵されています。
まとめ
「松方幸次郎」は川崎造船所(現川崎重工)の初代社長を務めた人物です。
明治期に起きたいくつかの戦争による軍備強化の煽りを受け、「攻めの経営」を持って川崎造船所を一大企業にまで成長させました。
その後の経営不振の責任を取って、川崎造船所を去りますが、衆議院議員として当選を果たしています。
戦後、大政翼賛会の推薦議員が理由で公職追放を受け、1950年(昭和25年)に84年の人生に幕を下ろしました。