時代は令和になり、かつて希代の天才漫才師と言われた人物が誰かわかる人も少なくなりつつあります。
世間を騒がせ、消えていった天才芸人の最期はどんなものだったのでしょう。
この記事では横山やすしの晩年とその最期を解説します。
「横山やすし」とは?簡単に説明
天才漫才師とよばれ西川きよしとのやすきよ漫才は数多の頂点を極めています。
破天荒な性格と歯に衣を着せぬ喋りから、多くの人からよくもわるくも愛憎を得ていた人物でした。
気難しい性格かつ無類の酒好きで度々事件を起こしてしまいます。
吉本興業の林正之助会長からは可愛がられていましたが、庇いきれなくなり吉本興業を解雇されてしまうのでした。
そこから先は転げ落ちるのに歯止めをかけられずに生涯を終えています。
「横山やすし」の晩年
1989年、度重なる不祥事が続いたうえにさらに酒気帯び運転で事故を起こし、吉本興業を解雇されてしまいます。
このためやすしきよしもコンビは事実上の解散となってしまうのでした。
それどころか吉本興業とは絶縁状態で旧知の仲間とも疎遠になり、収入も途絶えてしまいます。
この状況を打開すべくVシネマやきよしの出馬を反対していたにも関わらず自身は参議院議員選挙に比例区で出馬するなど迷走。
その後謎の暴行事件で重傷を負うとみるみる年齢に見合わぬ姿で衰えていくのでした。
「横山やすし」の死に様
1996年1月21日に大阪摂津市の自宅で夫人が寝たまま意識がないのに気付き緊急搬送されますが、既に心肺停止状態で蘇生も叶わず、そのまま亡くなっています。
遺体は行政解剖され、死因はアルコール性肝硬変によるものでした。
10年前の1986年にはアルコール依存と慢性肝炎の診断を受けていましたが、断酒できない場合の余命宣告を受けており、それが現実になってしまいました。
「横山やすし」の死に様の信憑性
飲酒をやめることができず、腹水が数年前から溜まる状態でありながらも飲み続けたことで、急激に衰えていったのは間違いありません。
亡くなる前年夏の京都府八幡の祭りにゲストとして参加した姿は今も動画サイトに残っていますが、51歳とは思えないような容貌。
激痩せはもとよりまともに立っていられない状態で声のハリもなく全盛期を知るものは寂しさを感じるとともに余命が幾ばくもないことを誰もが予感させるものになっています。
まとめ
横山やすしは1996年1月21日アルコール性肝硬変により亡くなっています。
アルコール依存症からは抜け出すことができず、10年前の慢性肝炎の診察の際に医師から余命宣告をされた通りの結果になりました。
天才漫才師として頂点を極めながらも、自らの不祥事で栄光を手放し、晩年は辛酸を舐め不遇かつ屈辱の日々だったのは間違いありません。