Mr. アンダースロー「明石家さんま」のブレイクのキッカケを作ったタイガースのエースの晩年と最期とは?
この記事では「小林繁」の晩年と最期について解説します。
「小林繁」とは?簡単に説明
1979年の空白の一日、江川事件で阪神タイガースに「江川卓」との交換トレードで入団することになった投手。
巨人でも右の小林、左の新浦とエースとして活躍しており、既に全国的な人気のあった選手でした。
その後タイガースに移籍してからは、江川事件の被害者として人気は加速。
巨人戦での快刀乱麻のピッチングは阪神ファンだけでなく、全国の野球ファンを喜ばせました。
またその人気にあやかって若手時代の「明石家さんま」が物真似でブレイクしたことでも有名。
引退後はスポーツキャスターを経て、コーチで球界復帰しています。
「小林繁」の晩年
波乱のある晩年であったのは間違いなく、借金トラブルで週刊誌を賑わせることとなりました。
2003年に自身が大阪北新地で経営していた高級ラウンジ『ブラックファミリー』ならびに北海道料理の店『礼文』が破綻。
自己破産の道を選ぶこととなりました。
総額は10億円とも言われます。
それでも東スポの専属評論家を経て、韓国球界で現場復帰を果たすと2009年からは日本ハムファイターズの二軍投手コーチに就任。
翌10年からは一軍投手コーチ昇格も決定し、野球人の道を再び歩み始めます。
「小林繁」の死に様
2010年の1月17日の朝、背中が痛いことを妻に訴えます。
容態は急激に悪化、病院へと緊急搬送されますが、既に搬送段階で心肺停止状態でした。
その後午前11時頃に蘇生措置のかいもなく死亡が確認されています。
死因は心筋梗塞による心不全、57歳での急死となりました。
「小林繁」の死に様の信憑性
前日に大阪梅田の日本ハム本社でのイベントに出席しており、その時の様子ならびに帰宅後も特段変わった様子がなかったことが明かされています。
当日も6時半に起床し朝食を取っており、いつもと変わらぬ様子だったと夫人が話しています。
9時前に背中の痛みを訴えたため、夫人のマッサージで痛みは軽減。
しかしその後に倒れてしまい、ほどなく心肺停止状態に陥りました。
小林繁氏の死は野球史に残る空白の一日、江川事件の被害者であることもあり、新聞はもちろんのこと、各局のワイドショーでも大きく扱われることになりました。
まとめ
小林繁は2010年1月17日の午前11時頃に緊急搬送先の福井県立病院にて亡くなっています。
死因は急性心筋梗塞による心不全で57歳のことでした。
晩年は現役中に開店した飲食店の経営破綻や不動産ビジネスで総額10億円とも言われる借金を抱え自己破産。
ようやく球界復帰できた矢先の訃報となりました。
その死はいち野球関係者の死ではないレベルで大きく報道されています。