「樹木希林(きききりん)」とは?
樹木希林の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。
「樹木希林」とは?簡単に説明
樹木希林さんは1961年に文学座付属演劇研修所に入り、「悠木千帆」の芸名で女優デビューします。
1964年にテレビドラマ「七人の孫」でレギュラー出演して人気を集め、その後は個性派女優として多くのドラマや映画に出演しています。
特に彼女の当り役は20代の頃から演じていた老け役でした。
私生活では1964年に俳優の岸田森と結婚、4年後に離婚し、1973年に歌手の内田裕也と再婚しています。
ただし、内田によるDVが原因で1年半後に別居していますが、離婚はせず、以後別居生活を続けています。
「樹木希林」の晩年
樹木希林さんの晩年はまさに病気との壮絶な闘いでした。
2003年に網膜剥離で左目を失明し、2004年には乳がんが発見され、翌年には右乳房の全摘出手術を受けています。
これで完治したかにみえましたが、2008年には腸や副腎、脊髄にまで計13個所に「がん」が転移していることが分かり、九州のUSAオンコロジーセンターという病院で「四次元ピンポイント照射療法」と呼ばれる放射線治療を受けていました。
2013年には第36回アカデミー賞で最優秀主演女優賞を獲得し、その授賞式で「全身がん」を告白し、視聴者を驚かせました。
ただ、容体は安定していたようでその後も「万引き家族」など映画を中心に元気に仕事を続けていました。
2018年5月にはその「万引き家族」がカンヌ国際映画祭で「パルムドール」を受賞したことでフランス・カンヌを訪れていました。
亡くなる1ヶ月前には自宅で転倒して左大腿部を骨折し、入院中に一時危篤状態に陥っていたとも言われています。
「樹木希林」の死に様
樹木希林さんは2018年9月15日午前2時45分、東京都渋谷区の自宅で亡くなりました。
75歳でした。
死因は9月30日の葬儀で関係者が「乳がんが原因の全身転移」と明らかにしています。
翌16日に近親者のみで通夜を執り行い、葬儀は光林寺で9月30日に執り行われました。
「樹木希林」の死に様の信憑性
樹木希林さんは生前、「がんになって死ぬのが一番幸せだと思います」と発言されています。
その理由として、「片づけしてその準備ができるから」最高とも言っています。
「がん」は突然死する性質の病気ではないため、死をリアルに捉えられ、死に向けての準備ができます。
そして生前、樹木希林さんは遺影の撮影をしたり身辺整理もされ、本人の希望通り最期を自宅で迎えられました。
晩年は周りの人に見守られての生活を送り、これ以上の死に様の信憑性はないでしょう。
まとめ
若い頃はちょっと不思議なキャラの個性派俳優のような印象で見ていましたが、年を重ねるごとに存在感のある演技で活躍されていたように思います。
長い闘病生活にもかかわらず、素晴らしい演技を見せてくれた樹木希林さんに拍手喝采です。