「新珠三千代」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「新珠三千代」の死に際とは?日本の人物

「新珠三千代(あらたまみちよ)」とは?

新珠三千代の晩年とその死に様について信憑性も含め以下に詳しく解説します。

「新珠三千代」とは?簡単に説明

新珠三千代は奈良県奈良市出身の女優で、宝塚歌劇団の卒業生でもあります。

宝塚時代は雪組のトップ娘役として活躍し、宝塚退団後は日活に入社して看板スターとなります。

1957年(昭和32年)には東宝に移籍し、「人間の条件」でブルーリボン助演女優賞を受賞、また東宝の看板映画「社長」シリーズにも数多く出演しています。

テレビドラマにも多く出演し、代表作に「氷点」「細うで繁盛記」などがあります。

さらに舞台では「細雪」に出演し、演じた二女役は当たり役と絶賛されています。



「新珠三千代」の晩年

新珠三千代は「女優業」に徹するためか、プライベートは世間にあまり明かさず、私生活はベールに包まれていたようです。

分かっていることは、新珠は4姉妹の上から2番目で、本人は4姉妹の中では一番美人でないと語っているそうです。

それと関係するのか、新珠は生涯一度も結婚せず独身で通しています。

それが元となったのか、政治家・田中角栄の愛人だったとの噂があります。

ただし、これは単なる噂に過ぎません。

新珠の妹の乃理子が田中派の政治家・小宮山重四郎と結婚したことからきたガセネタだったようです。

亡くなる前も復帰に向けた計画を立てていたそうで、まさに女優として生涯現役を貫く意志が強かったと思われます。

1994年(平成6年)には舞台「女たちの忠臣蔵」で浅野内匠頭の妻役演じていましたが、体調を崩して降板し、虚血性心筋症で3カ月間入院しています。

最後の仕事は、2000年(平成12年)11月に東京・銀座で開かれた朗読会「ハロルドとモード」への出演となっています。



「新珠三千代」の死に様

新珠三千代は2001年(平成13年)3月17日午後8時35分に東京港区の慈恵医大病院で亡くなっています。

71歳でした。

死因は心不全です。

新珠は3月10日に腰椎椎間板ヘルニアの治療のために入院し、手術を受けた後も治療を続けていましたが、3月17日に容体が急変してそのまま死亡したようです。

腰椎椎間板ヘルニアの手術によって弱っていた心臓が手術の影響に耐えられず、死因の心不全を引き起こしたものと考えられます。

「新珠三千代」の死に様の信憑性

新珠三千代はプライベートを明かさない女優でしたが、死去にあたっては病院で亡くなったこともあり、最低限の情報は公開されており、信憑性は高いと言えます。

まとめ

新珠三千代はミステリアスな魅力に包まれた女性で、清楚な美女から稀代の悪女まで演じられる実力派女優でした。

まさに昭和を代表する大女優の一人です。

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