ミスタードーナツの袋の絵を手掛けた「ペーター佐藤」の死に際とは?
この記事ではペーター佐藤の晩年と死に際について解説していきます。
「ペーター佐藤」とは?簡単に説明
伝説のイラストレータークラブである「パレットくらぶ」のメンバーとしても有名。
彼の名前は知らなくても、ミスドの袋の少年少女を書いた人物と紹介すればおおよその方が解ると思われます。
ただそれだけだと同じパレットくらぶの「原田治」氏がミスドのノベルティのキャラクターデザインをしていた為、言葉を付け足す必要に迫られるのは間違いありません。
パステルドローイングでリアルタッチの人物画を特徴に雑誌の表紙などを手掛けていました。
「ペーター佐藤」の晩年
80年代後半には「小泉今日子」嬢、自らの熱望でバラードのベストアルバム『Ballad Classics』のジャケットデザインを手掛けています。
パステルドローイングによる人物画の魅力の認知度はより浸透していったと言っていいでしょう。
91年には米PLAYBOY社からリトグラフを発売。
さらには同社の主催で西海岸のサンフランシスコ、東海岸のニューヨークで個展を開催しています。
これらにより米国での知名度も上昇したのは間違いないと言えるでしょう。
しかし好事魔多し。
ペーター氏は体調不良に襲われてしまう事になります。
「ペーター佐藤」の死に様
1994年6月23日に死去しています。
48歳没。
死因は当初不明と発表されていましたが、後日肺炎に変更されています。
ほとんどその死については公表されていません。
「ペーター佐藤」の死に様の信憑性
死因が当初不明とされていたもの、後日に肺炎に変更されました。
心不全と並んで肺炎は雑多一括りの死因として発表される事も多いため、信憑性は決して高いものとは言えません。
例えば「ペギー葉山」氏の様に風邪から肺炎になり数日で亡くなってしまう方もいらっしゃいますし、脳疾患や心疾患で倒れて誤嚥性肺炎で亡くなってしまう方もいます。
またがんに罹患、手術は成功したもの抗がん剤で免疫力が下がっている時に肺炎に罹患して亡くなってしまう方もいます。
このためペーター氏の急逝に繋がった病気、真相については解っていない=公表されていないのが現状と言えるでしょう。
「内藤ルネ」氏が後年ペーター氏と親密だった事を明かしたため、没後に下世話なゴシップ記事が発生していますが、信憑性は当然不明です。
まとめ
1994年6月23日に死去しています。
48歳没。
死因は当初公表されていませんでしたが、後に肺炎と発表されています。
心不全とならんで原発が別の病気であっても成り立つ死因であるため、真相は不明と言っていいでしょう。
没後の1995年に『PATER』が出版されていますが、厳選された作品を100点ほど掲載。
同作はバイオグラフィであるため関係者からコメントも寄せられていますが、特別新たな事実は見つかりませんでした。
同時期に発売された『PATER1994』は病床中にちぎり絵で作った作品を掲載したもの。
同作品で晩年は入院生活をしていた事が明らかになり、書籍化するほどの点数を作成=入院期間がそれなりに長かった事が推測できると言えるでしょう。