「桑名正博」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「桑名正博」の死に際とは?日本の人物

セクシャルバイオレットNo. 1桑名正博の晩年と最期とは?

この記事では桑名正博の晩年と最期について解説します。

「桑名正博」とは?簡単に説明

若い方にはバラエティに出てくる関西弁の歌のおもろいオッサンの印象が強いと思われます。

60代前後の方にとっては青春の象徴だと思われるのが「桑名正博」でしょう。

大ヒット曲『セクシャルバイオレットNo. 1』は刺激的なロックの音楽性に加え、タイトルの意味が摩訶不思議な事もあり、レコードセールス以上に巷で歌われた曲となりました。

また「アンルイス」の夫でもあり、離婚前後には大いにゴシップで賑わせたものです。

元々関西の大店の跡取りであり、一時は芸能活動を引退。

実業家としての手腕をふるいました。



「桑名正博」の晩年

2000年に実家の桑名興業の社長に就任しますが、一度傾いた家業は建て直すことが出来ず倒産。

事後処理後の2006年以前から度々訪れて気に入っていた軽井沢へと転居します。

軽井沢へ転居後もミニライブなど音楽活動は続けていましたが、生活の中心となったのはボランティア活動や慈善事業など社会貢献活動になっていきました。

また前妻との間に生まれた「美勇士」氏が2011年秋に結婚、子供が生まれたことで初孫ができた事を喜ぶと、2012年の5月にはレコーディングで初共演も果たしています。



「桑名正博」の死に様

2012年7月15日の早朝に大阪阿倍野区の自宅で倒れると住之江区の病院へ緊急搬送。

しかしその予後はいいものとは言えませんでした。

脳幹出血で倒れた当初から意識不明のまま、長い闘病生活が始まります。

約二週間後には気管切開手術を行い、容態が安定していることが報告された一方で依然として意識不明のままであることが報道されました。

しかし点滴だけの栄養補給では体力を維持することは困難。

2012年10月26日の午後に力尽きることとなりました。

59歳没。

闘病生活は104日にも及んでいます。

「桑名正博」の死に様の信憑性

美勇士氏が音楽活動をしていることもあり、マスコミに対して父の容態について何度か明らかにしています。

7月末には人工呼吸器をつけ点滴で栄養補給はしていることを明かし、容態が安定していると話しています。

その一方で「諦めずに奇跡を信じて」のくだりがあった事から、安定はしているが回復の見込みは悲観的であることが想像されました。

没後のインタビューでは当初の搬送時の医師の所見について話しており、出血の部位が悪くほとんど脳死であったことを明らかにしました。

またもって数日の命だと余命宣告もされており、奇跡的に体力も心拍数も回復したとされています。

まとめ

「桑名正博」は2012年10月26日の午後に亡くなっています。

59歳のことでした。

大元の死因は同年7月15日の脳幹出血で既に搬送された時点で脳死に近い診断がくだっています。

奇跡的に一命は取り留めましたが、点滴だけでしか栄養補給できないため、徐々に衰弱して亡くなった可能性が高いと言っていいでしょう。

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